ふるさとの森や林を大切に

256 ~ 257
八田洋章

 関東地方の低地は暖温帯の常緑樹林域にあって、スダジイやシラカシなどを中心とする照葉樹林で被われていました。しかしこの本来の林は現在平地ではほとんどなくなって、それらしいものが、お宮の森などで見られるくらいです。私たちの祖先はこの照葉樹林を切り開いて、畑や田んぼとし、生活の場としてきました。照葉樹林を長期間にわたって伐採を繰り返すと、関東地方ではクリ、コナラを中心とする雑木林(二次林)が成立するといわれます。

 また今日まで2次的に生じた自然林をも伐採してスギやヒノキの人工林に置き換えられてきています。広葉樹林から針葉樹林へ、私たちに最も身近な里山の姿は大きく変貌してきました。

 多くのものを失ったと思います。まず風景でしょう。四季の変化が里山から消えてしまいました。里山の道路に近いところから植え替えが進み、人目に付くところの多くがスギ、ヒノキやアカマツの人工林です。今では日本の森林面積の41%、国土の約3割を占める約1000万ヘクタールが人工林だといわれます。

 今ではこれら人工林も日本の重要な植物景観の一つだと私には思えますが、年中緑の針葉樹林は四季の変化に乏しく、また林内も暗くてそこで生活する植物や動物の数も減ってしまいます(付表参照)。いろいろな生き物を養うことができません。一つの樹種だけからなるこれら人工林はいわば極めて異様な状態で、もっと種類の豊富な自然状態に近い森を大切にすべきだと思います。

雑木林は原体験の宝庫

 薪炭林として里山は雑木林のまま残されていました。人間が適度に手を加えることによって、本来の照葉樹林よりも生態系はむしろ豊かになっていたといえましょう。適度に空間があり、昆虫が多く、小型哺乳類も出入りしやすい林でした。

 冬芽が開いて新しい緑を出し、夏は濃い緑に、やがて紅葉、そして落葉へと四季折々に変化します。雑木林の中の明るさも季節ごとに変化します。早春の落葉を敷き詰めた林内を歩く時、体重で足元が沈む感触を楽しんだのも雑木林でした。木々の枝先では赤褐色の冬芽が輝き、ちらほらと花も咲き出して、命の息吹に感動しましたし、イチリンソウやカタクリなど春植物が他の植物の茂る前に花を咲かせる場所も雑木林です。夏休みにカブトムシを捕るために、自分の秘密の場所を一巡した子供の時の胸のときめき、その思い出もクヌギ林のことでした。アケビの実をとろうと木に登り、枝の上のアオダイショウを握って悲鳴をあげたのも雑木林でした。マツやシラカシなどの常緑樹も適当に混じっています。

 雑木林は里山と呼ばれ最も身近な森ですが、常に人手が加えられないと落葉樹林の状態を保てません。里山の多くは切株から伸びた技(萌芽枝)による再生林で、15~20年に一度冬に伐られ、その後2・3年おきに山掃除が行われ、茎の素性の良いものだけを残して後は刈り取ってしまうというかなり強い人間の干渉のもとで維持されてきました。木炭や薪が作られ、落葉は大事な肥料となり、下草は家畜の飼料となりました。

 ところが昭和30年代後半以降の石油、ガスの普及によって木炭の値段が暴落し、里山の維持が難しくなってしまったのです。薪炭林の役目がなくなると急に雑木林は消えていきました。残っていてもほとんどは放置されたままになってしまいました。

 一斉にヒコバエが萌芽し、同時に実生も手を入れないと、木が密集しすぎてまるでやぶ状態のままの荒れた林となります。また管理をやめたその時から遷移の進行、つまり本来の常緑樹林への回帰が始まったかに見えます。私の毎日通う常磐沿線でもシラカシが大きくなって、だんだんと照葉樹林に戻りつつあるように思えます。私は里山では常緑広葉樹林よりも落葉広葉樹林(雑木林)の方がよいと思います。

 欧米の諸都市では針葉樹を伐って落葉樹の林に変えるなど、町の中心部にも落葉広葉樹林を復活させようという運動が盛んと聞きます。イギリスの森は16~18世紀には殆ど消滅してしまいました。現在見られるものは19世紀以降人間の手によって植えられたものだそうで、したがって森はむしろ町や村の中にあります。有名なウィーンの森も、ドイツのシュバルツバルトも人々の手によって再生されたものなのです。私たちの周りにも雑木林を育て増やしてゆきたいものです。

 私たち個人はそれぞれの自分史を持ち、その原点としてふるさとがあります。勝手な願いのようですが、そのふるさととは幼いときのままがいい。変わらないから、懐かしく、心のよりどころになるのでしょう。今ある自然を、森や林を大切にして、子供たちが自分のふるさと、守谷町を誇れるようであって欲しいものです。

(国立科学博物館筑波実験植物園 主任研究官)


付表 秋田県内の生息環境別のおもな繁殖鳥類