この章では、昭和30年代(1955~65)以前の農村を、その日常生活や土地の風土に融け合った生産活動、培われてきた里山の自然など様々な分野で紹介しました。
ここでは農業用資材と食生活から、当時の循環型社会の構造を簡単に解説します。
農業を左右する条件のうち、気候は人為の及ばぬところですが、土壌、肥料は改良が可能でした。肥料では、金肥と呼ばれ購入するものとして、菜種、大豆の搾り粕や干し鰯(いわし)、化学肥料なども用いられましたが、中心は自家生産の堆肥(たいひ)でした。堆肥は屋敷林や薪炭林の落葉、落枝、下草(燃料にもなりました)や野菜屑も多く加わった掃溜(はきだめ)、牛馬小屋の床に敷いたワラや草に糞尿の加わった厩肥(うまやごえ)、堤防や河川敷その他の草地での刈草などがあります。これらの肥料は、季節に応じて直接すき込む場合と、堆肥小屋に積み、完熟させたものを用いる場合とがありました。木の若葉や刈草を直接水田に散布する刈敷(かりしき)と呼ぶ肥料もありました。便所の糞尿である下肥(しもごえ)も、直接用いるか、肥溜(こえだめ)に貯え完熟させて使用しました。カリ肥料としては草木灰が用いられました。
収穫した稲束を天日乾燥する稲架(おだ・のろし)も、足にはマツ林の間伐材を、掛竿は屋敷林のモウソウチクを用いました。
乾燥した稲穂から採った穀粒が籾(もみ)米で、籾殻(もみがら)を除いて玄米(げんまい)とします。食用にはさらに外の薄い皮や胚を糠として除き白米にしました。
稲藁(いなわら)はきわめて用途が広く、縄、俵、かますをつくり、種々のものを入れ縛るのに使いました。また、むしろとして穀物などの干し場に敷きました。さらに牛馬の飼料となり草履や蓑がつくられ、畳の芯材から土壁の混入材にまで用いられました。藁灰は藍染の発酵促進剤にもなりました。
籾殻は、むし焼きにして燻炭をつくり土壌改良材とし、早春には地温上昇のために地表に散布しました。また、籾殻は腐りにくく、積めば空間が多いため、鶏卵の輸送や保存に、乾田化の暗渠にも用いました。
糠は肥料・苗床の昇温材・鶏や豚の飼料・糠漬けなどに広く用いられていました。
七分つき位の米に、ひきわり(大)麦や押麦を入れたものが主食でした。副食はお盆・正月・祭りなどハレの日以外は、大根・白菜・瓜類の漬物、梅干・切干し大根・干葉(ひば)・芋茎(ずいき)・いも類などほとんどが自家生産のものが日常的に使われました。味噌醤油などの調味料も自家製でした。
農村生活は、その基本材のほとんどが生物生産品であり、終末は細菌類の働きにより分解されて大気・水・土にもどり、再び農作物をはじめ身近な草木をスタートとする循環系に加わりました。非常に手間と時間をかけた省エネルギー無公害の生活だったのです。
環境保全を目的とする循環型社会の維持は、〝もったいない〟をキーワードに、相当な覚悟を持たねばならぬことがわかります。