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□□通□御下ニは不及儀と

存候御志を破り候段無本意

可被思召候得共元来御勤方遠候

貴様義ニ候へは御同道仕候而ハ

此方より駈催候□と万一

人口ニ可遂之段互之無本意

儀ニ候勿論戦場へ医役ニ而

供奉之筈之義ニ候是ハさすか

戦場ニハ無之候然は御留り之義

却而道理当然ニ被存候御身命

之旨いとゐ候而彼是申ニ而ハ神以

無之候皆何様ニも被成候後

ニ而は定而世聞之取抄汰可□

年月之寸志迄能御存知之

貴様ニ而候間此段御聞届之上

是非御留り苛被成候この頃

奥野将監も被登貴様御噂

被申候右自然ニ宜相心得

拙者ヨリ可申通旨呉々被申置候

猶惣右衛門伝兵衛源五右衛門源四郎

十内等面談ニ右之通可申述候

恐徨謹言

      大石内蔵助

  八月六日

  寺井玄渓様

     人々御中

 

手紙を以申上候貴様義此度

江府へ御下向可成候而玄渓老

委細被仰聞別而御志之段

忝大慶仕候御眼病未透と

無御座道中御苦労御太儀

千万存候へハ御懇意之思召却而

いかヽニ存候幸之義と存候聞

御出被下候様ニ存候猶玄渓老江

申進候拙者御同道申候との義ハ

爰許ニ而同志之内へも必々

御さた被下ましく候先御礼旁

如此御座候明日玄渓老へ委細

可申述候

  四日

       取込御名書損し候

   タツ  御免々々

寺井玄達様 池田忠右衛門

 

一筆致啓上候甚寒候得共

弥御堅固可在御座と存候

一内々之一儀 明十五被定日相定

大慶存候後之義玄達御物語

被下可在之候永々御滞留病用共

御心易申承御志忝存候無

滞着鎌倉五六日滞留夫ヨリ

川埼近所平間村在宅申候

江戸へ三四里在之不自由故

石町へ借用相宿に玄達

申候通ニ御座候麹町ニ二三軒

いつれも罷在申候ミなと町

米濃町源介町本庄ニも大勢

借家ニ居申候其外拙者罷下

候段さた気味あしきよしも

候得共無別儀明日ニ成大慶申候

一ト市折々他出之由承之

途中心掛候得共不自由出

店参申候菊湯すき折々

売来候縁ももとめ屋敷内も

二三度見聞いたさせ候尤

宗丹一弟子ニ候由山田宗論

と申仁小笠原佐渡守ニ相勤

年七十余之由此仁無ニ之

心易卜市弟子功志之由

此宗論へ大高源五町人ニ作り

弟子ニいたし候而会日来自然

と承り先日有之候得共

御成日故致遠慮今日会在

候ニ付明日打込申事と一段之

手筋もとめ大悦不過之存候

此上首尾好本望達申度

存事ニ御座候最余ノ次第有

増右之段為可得御意如此ニ候

一打込之節御見聞為御被見

一通彼屋敷ニのこし置候

書付之写並取掛り候ハヽ

手分申候書付乍御慰進之候

無御心元可被思召と如此ニ候

去年已来志浅深之働之

功之者共別紙書付遺し候

一兼而御申候通皆共名を

御あらハし候て浅深之功認候

書付候様次第ニ御出置可被成候

公儀江は御家之御礼式之

ことく再頭立候もの共一人も

たがいテハ御外聞と存候書

付出候迄之事ニ候実は拙者

別紙認申通御用意

可被成候差之候もたせ認

候書物十内ヨリ進之候よし

拙者共承候へ共如何可遣と存

第一相違之儀在之候不入

無第所御畏用ニ候

一日来御心易申承此度は

前後大慶忝存事ニ候

乍然別而残念成事共

御座候同名主税も相心得

可得御意旨申事御座候

恐徨謹言

    大石内蔵輔

 十ニ月十四日 花押

  寺井玄渓様

     人々御中

去年以来志シ浅深之働之次第

      大石 内蔵輔

      原 惣右衛門

      吉田忠右衛門

      聞瀬 久太夫

      小野寺 十内

      大石 主税

      潮田 又之丞

      大高 源五

      中村 勘助

      武井 唯七

      近松 勘六

      村松 喜兵衛

      村松 三太夫

      聞  喜兵衛

      間  重次郎

      早見藤左衛門

      岡野金左衛門

      小野寺幸右衛門

      千馬三郎兵衛

      岡村八十右衛門

      勝田利左衛門

      菅谷 半之丞

      貝賀弥左衛門

      矢藤右衛門八

      三村次郎右衛門

      堀部 安兵衛

      奥田 孫太夫

      横川 勘平

      堀部弥兵衛

      冨森助右衛門

      倉橋 伝介

      奥田貞右衛門

      磯貝十郎左衛門

      不破数右衛門

      矢田五郎右衛門

      赤坂 源蔵

  神崎与五郎之内

      前野 為助

      大石瀬左衛門

      吉田沢右衛門

      聞瀬 孫四郎

      杉野 重平次

      茅野 和助

      片岡源五左衛門

      間 新六

      木村岡右衛門

       寺坂吉右衛門

東組 表門の方

家ノ内へ入

 鑓 片岡源五左衛門  高芳 三十六才

 同 冨森助右衛門  正因 三十三才

 同 武井  唯七  隆重 三十一才

 長太刀

   奥田 孫太夫  重盛 五十六才

 鑓 矢田五郎右衛門  助武 二十八才

 同 勝田利左衛門  武堯 二十四才

 同 吉田沢右衛門  兼貞 二十八才

 同 岡村八十右衛門  常樹 三十七才

 同 小野寺幸右衛門  秀當 二十七才

  同 三村次郎右衛門  包帯 三十六才

場之内

 弓 早見藤左衛門  満堯 三十九才

 同 神崎 与五郎  則休 三十七才

 鑓 矢藤右衛門七  教兼 十七才

 長太刀

   大高 源五  忠維 三十一オ

 同 近松  勘六  行重 三十三オ

 鑓 間  重次郎  光興 二十五才

表門之内

 鑓 大石 内蔵助  良雄 四十四才

 同 原 惣右衛門  元辰 五十五才

 半弓

   間瀬 孫四郎  正明 六十ニオ

新門之内

 纖 堀部 弥兵衛  金丸 七十六才

 同 村松喜兵衛入道 秀平 六十一オ

 纖 岡野金右衛門  包秀 二十三才

 同 横川  勘平  秀利 三十六才

 同 貝賀弥左衛門  友信 五十三才

 

人数ヨリ二就拾四人

         家崩道具人々持参

 

西組 裏門之方

家之内江入

 鑓 磯貝十郎左衛門  正久 二十四才

 長太刀

   堀部 安兵衛  武庸 三十三才

 同 倉橋 伝介  武華 三十三才

 

   杉野 重平次  次房 二十七才

   赤垣 源蔵  重質 二十四才

 鑓 毛利 小平太  元義 三十才

     此中付認候夜立退申候

   管谷 半之丞  政利 四十三才

 鑓 大石瀨左衛門  信清 二十六才

 同 村松 三太夫  高直 二十六才

    寺坂吉右衛門  信行 三十六才

場之内

 鑓 大石 主税  良全 十五才

 同 潮田 又之丞  高数 三十四才

 鑓  中村 勘助  正辰 四十七才

長太刀

   奧田貞右衛門  高宗 二十四才

 鑓 間瀬 孫九郎  正辰 二十二才

 半弓

   千馬三郎兵衛  光直 五十才

 弓 茅野 和助  常成 三十六才

 同 間  勘六  光風  二十二才

 鑓 村岡右衛門  貞行 四十五才

 同 不破数右衛門  正種 三十三才

 同 前野  為助  宗房 三十九才

裏門之内

 鑓 吉田忠右衛門  兼毫 六十ニオ

 同 小野寺 十内  秀和 六十才

 同 間 喜兵衛  光廻 六十八才

人数〆二拾四人

    家崩道具人々持参

  残置候書附之写

 浅野内匠家来口上

去年三月内匠儀就

傳奏御馳走之儀吉良上野介殿江

含意趣罷在候処於

御殿中当座難遁儀御座候歟

及刃場候不弁時節場所働無調

法至極ニ付切腹被仰付領地

赤穂被召上候儀家来共迄

畏入奉存請上使御下知

城地指上家中早速離散

仕候右喧嘩之節御同席御指

留之御方有之上野介殿を

討留不申内匠未期残念之心

底家来共難忍仕合御座候

対高家御暦々家来共此

鬱憤候段憚奉存候得共君父之

讐共不可戴天之儀難黙止

今日上野介殿御宅江推参仕候

偏亡主之意趣志迄御座候

私共死後若御見分之御方

御座候ハヽ奉願御被見如斯

御座候已上

 元禄十五年極月日

     浅野内匠頭長矩家来

      大石 内蔵介

      吉田忠右衛門

      原 惣右衛門

      片岡源五右衛門

      間瀬 久太夫

      小野寺 十内

      大石 主税

      磯貝十郎左衛門

      塚部 安兵衛

      近松  勘六

      冨森助右衛門

      潮田 又之丞

      堀部 弥兵衛

      赤埴 源蔵

      奥田 孫太夫

      矢田五郎右衛門

      大石瀨左衛門

      早見清左衛門

      間 喜兵衛

      中村 勘助

      菅原 半之丞

      不破数右衛門

      千馬三郎兵衛

      岡野金左衛門

      吉田沢右衛門

      貝賀弥左衛門

      大高  源五

      岡嶋八十右衛門

      武井 只七

      倉橋 伝助

      村松 喜兵衛

      杉野 十平次

      毛利 小平太

      勝田新左衛門

      前野 伊助

      間瀬 孫九郎

      小野寺幸右衛門

      間 重次郎

      奥田貞右衛門

      矢頭右衛門八

      村松 三太夫

      神埼 与五郎

      茅野 和介

      横川 勘平

      聞 新六

    台所役人

      三村次郎左衛門

    吉田忠左衛門組足軽

      寺坂吉右節門

 此人数書は御家之御礼式之格を以

              認候

    覚

一十二月十四日之夜惣人数四十六人

   追啓間重次郎武井唯七働之義も

 本所へ集り堀返安兵衛杉野十平次

   本主之義候故名を出し候て認候

 借宅ニ而志たくいたし寅之上刻

   然レ共兼而申合セ候処うち入申時

 吉良上野介殿屋敷へ罷越候

   上野介殿相ミへ取並テうち申候も

 屋敷脇ニ而人数二手ニ分表門ヨリは

   門ノとびらおさへ候而致□高岡も功ハ

 階子□指セ屋祢を越乗入候裏

   軽重有之間敷と見合候へハいつれノ

 門をかけやを以テ打破押入候表之

   働も同前ニて候上野介殿首ニて

 玄関隠居之玄関打破候処

   紛無之と為可申斗ニ此両人之

 出合候者ハ突倒或ハ討捨ニ仕候

   名書出し候此働ヨリ大ニ働候処ハ

 上野介殿ハ寝所を逃出隠られ候ニ付

   不破数右衛門大働ニ而候勝負いたし

 表裏ヨリ押入候者共家内戸はめ

   相手も同類手きヽニて数右衛門ニも

 を打破り無残所尋申候玄関

   数ケ所切付候へ共着込候上ニて候ゆへ

 番人其外近習勝手まはりの

   疵ハ無之候小手着物ハ委切さかれ

 附番之者と相見候テ出会候者共

   申候其身之刀もさヽらこそ申候

 大□討捨申候其内ニハ手負半

   刃ハミな無之様ニ罷成候四五人も

 死之者も可在之哉難斗候台

   出会いいたし候へとも少斗之

 所邊ニてハ雑人も有之と相見へ候

   太刀あひまてニ御座候以上

 然共敵対いたし候て勝負仕候者ハ

 三四人斗残之者共ハ立合ニ不及

 通り合ニうち捨雑人と慥ニ見

 届候ハ如願用捨仕候而逃去次第ニ

 仕候表門裏門ニて押入候時番人

 之内出会候者ニ三人討捨申候番人

 の内もたてあひ候ハぬ者ハ助ケ置候

 表門裏門ニ三人宛ニて堅メ罷在候而

 屋敷ノ内追□ひ□と戸を通而

 出会之者可在之哉と心懸候江とも

 長屋ノ侍共ハ出会不申候漸ニ三人

 罷出候而突留申候と覚申候其内

 之者共死生之所ハ未明之内ゆへ

 不分明候右之通家内無隈尋

 捜候へとも上野介殿相見へ不申候

 然ル処勝手之内炭部屋と相

 見へ候処ニ戸たち候而在之をさ

 かし残し候処見出し候而戸

 打やぶり申小処内ニ人二三人有之と

 相見へ内よりむさと仕たる

 物を抛うちニいたし防申処

 きびしくせり詰申候両人

 両度ニ外へ切出候而少々働

 申候を則討留申候残之者を

 間重次郎一鑓突申候処脇差ヲ

 抜あわせ申候を武林唯七一

 刀切留申候此死人年来上野介殿

 ニ而も可在野哉と心附申候処

 在野装束を見申処下着ニ

 白小袖ニ而候然ハ面ノ内身ノ内ニも

 古疵可在之と遂吟味候処

 おもての疵は当座之疵ニ而不

 文明ニ候江共背ノ疵慥ニ相見へ

 申候ニ付首を重次郎ニ揚させ候而

 白小袖ニ津ヽミ表門之内へ出

 其前かど為案内とらへ置候表

 門之番足軽へミせ候処無紛

 上野介殿しるしニ而候と申候右

 討留之時懐中之守袋三ツ

 御座候を是も証拠ニと其場所

 之者とも取添致持参右之後

 弥出会候者一人も無之候付長屋

 之前ニて上野介殿討留候事

 声を立申触候江共戸を引立

 候まヽニて出候者も無御座候上野介殿

 討留候上外ニ存念も無之候ニ付

 裏門之内江惣人数呼集メ名

 書之帳面を為人別ニ呼出し柑改

 うち入候人数無相替集め裏門ヨリ

 退出候人数之内深手負候者

 一人も無之候かすり手負之もの一両人

 御座候

一私共存立候旨趣ハ口上書一通

 相認致持参表門ヨリ乗入候者

 玄関前ニ立置候是も早速

 御見分之御方も可有之歟と

 奉存候而惣人数之名書も相認候

一引拂之刻ハ未透とあけはなれ

 不申候兼而之存念遂本意候は

 上野介殿しるしハ泉岳寺へ致

 持参亡主之墳墓ニ手向可申候

 覚悟ニ存候へ共長途之儀又は場

 所之外ヨリ通あ王せ之者も在之或ハ

 屋敷ヨリしたひ候而追掛候者も

 候は其所如本意難仕候半歟

 先近所無縁寺迄罷越被地ニ而

 申談示其時宜次第可仕と申合セ

 置候ニ付先無縁寺へ参候処未門

 開ニ付断再往申入候江共門内へ

 入られ候儀難成旨門番人を以

 申出候江共さへきりとめ申候者も

 無御座候ニ付泉岳寺へ罷越候道

 筋之儀通り町筋は御礼日之

 義ニ御座候故差控御船蔵之後

 通り永代橋ヨリ鉄砲淵江罷出

 汐留町筋金杉橋ヨリ柴江出候而

 泉岳寺へ参候手疵在之もの

 けが仕候者ハ御船蔵之先ニ而駕

 やとひ候てのせ申候其外老人も

 途中ヨリ駕ニ乗候而罷越申候右場

 所へ御見之町方も未無之候ニ付

 此次第以可申上従途中吉田

 忠右衛門冨森助右衛門両人仙石伯耆守様

 江参上御断申上候内蔵介可参候へ共

 上野介殿みしるし持参仕候故無

 其儀右之両人参上仕候

一泉岳寺へ参り直ニ亡主之墓

 所江参詣上野介殿印を手向

 焼香仕候住持ヨリ使僧を以寮へ

 はいり候様ニと被申聞候ニ付寺内へ

 罷越候住持ハ早速寺社御奉行

 中様へ御断として被罷出帰寺之後

 致対面候寺ヨリ早速認尋被申時

 終日馳走に而候

一忠右衛門助右衛門儀伯耆守様江参上

 御案内申上候処御直ニ被聞召之由

 ニて内玄関へ被召寄候而早速

 御出様子御尋ニ付今暁之次第

 有增申上且又委細口上書相認

 上野介殿屋敷ニ立置候右之控

 □ニ仕候是を入御罷見可申哉と

 相窺候処御纜可成候由ニて差上

 候処与得御被見被遊段被聞召届候

 無残所神妙之仕形と御称美ニて

 追付御登城被成候而御老中様へ

 御披露可被成候其内玄関へ上り

 罷在候様ニ支度に被仰付候間休息

 可仕旨御意ニ而御入被成候追而井上

 万右衛門と申仁を以今暁之次第物語仕候様

 ニと被 仰出候由ニて尋被申候

 両人覚申通を申進物書衆

 被相認候処なかば申談候内御請取

 被成候早速御登城と相見へ候追而

 御徒士目付中御出ニて又右之次第

 御尋之儀在之候両人義ハ直ニ

 伯耆守様ニ罷在候

一晩刻泉岳寺へ御徒士目附

 石川弥市右衛門殿市野新八郎殿

御名字失念松野とも覚候

 小四郎殿何れも麻上下ニ而被参候

 私共不残御呼出御申渡候ハ仙石

 伯耆守様後木源五右衛門様水野

 小左衛門様被仰候仰渡之儀有之

 候間追而伯耆守様御屋敷へ

 可参由奉畏候由申候所右御請

 を内蔵介殿認差出候様ニと被申

 候ニ付御屋敷へ参上候儀奉畏候

 之趣相認候而遺候其後住持へ頼

 右之御徒目付へ相窺候ハ上野介殿

 引シ是へ致持参候是ハ如何可仕と

 申候処此段御指図難申候尤伯耆

 守様へ持参ニは不及候住持へ申入

 御預ケ候而可然事と被申候則

 住持預り可申之旨被申候ニ付右之

 印ニ守袋相添候而住持へ相渡置

 戍ノ上刻寺を罷出伯耆様へ

 参候何も着用改可申樣も無之

 故御断申今日之装束之儘尤

 武具も其儘致持参候道すし

 高輪ヨリ三田通西ノ久保へ出罷越候

 道筋町ニても警固之心在候躰

 御屋敷方も御門前ニ挑灯御出シ

 張申多参少々相見へ候伯耆守様ノ

 御玄関ニ而御徒目付中御出候而

 兵具懐中ものに御改御請取候

 鑓長刀にハ御門前ニ閣候儀御断

 申入候処持参の儀尤ニ思召候御請取

 置との御事いつれも御玄関上ノ

 間へ上り候而御徒目付中御出候而

 姓名御書付其身ノ年並御直参ニ

 親類従弟迄之者有之ハ書付ニ

 御留且又亡主之家ニて勤役

 今暁之手負けが仕候者御吟

 味ニて書留られ候

一其已後此十七人之者共御三人之

 前ニ被召出候而伯耆守様被仰渡候ハ

 皆共儀細川越中守様へ御預ケ

 被成候間左様相心得各御家中

 同道ニて可参之旨被 仰渡候其上ニ

 内蔵介殿御傍近く被召寄此度

 遂本望候次第おちつき候仕方

 段々無残所思召之由御称美ニ候

 次ニ今暁之次第有增御尋且又

 泉岳寺へ参候道筋被聞召及候義

 被仰出御尋ニ候其次第を請候而

 内蔵介御返答申上候品々ニより

 申落候義は外之者共申上候

 其の外ニ召連罷出候者之年来

 彼是と御尋之儀有之候其後被

 仰候は此御尋之儀は御作法ニ

 かかり候而御尋之儀ニ而ハ無之物語

 御聞可被成との儀之由被仰候右

 泉岳寺へ参候刻駕ニ乗候者も

 有之義手負けか人之儀迄被聞

 召並上野介殿宅ニ而火を灯候而

 さがし申候ニ軽キ者召とり案内

 致させ猟燭取出させ候而用申事

 御聞心静なる仕形と御三人とも

 御意ニて候其上ニて越中守様へ参上

 申ニ乗物ニ而参候様ニ被仰付候此

 落義之儀無之候得共老人手負

 けが人も有之且又請取ニ被参

 候衆中警固之ため旁之間乗候

 而参候様ニと被仰渡候

   各十七人

大石 内蔵介  吉田忠右衛門

原 惣右衛門  片岡源五左衛門

間瀬 久太夫  小野寺 十内

掘部 弥兵衛  磯貝十郎左衛門

近松 勘六   潮田 又之丞

冨森助右衛門  赤垣 源蔵

矢田五郎左衛門 大石瀬左衛門

早水藤左衛門  間 喜兵衛

奥田 孫太夫

      以上

 十二月十八日認之候

 

 追而十五日暁上野介殿北隣

 大屋主税様御屋敷境目へ

 御家来中罷出高挑灯ニて

 警固之体ニ見へ候ニ付垣越ニ此方之

 意趣を断申達置候其後

 上野介殿印候而引退候時節

 只今遂本望引取候旨断申

    右之断趣主税様ヨリも

 達候 御断有之由仙石伯耆守様

    御意ニ候

一私共外二十九人は松平隠岐守様

 毛利甲斐守様水野竪物様御

 預之由追而承候此者共之内覚

 申候所たかひも可有之哉と存候へ共

 一所ニ不罷在相認候付及吟味候

 此書付も大概を以相認候惣人

 数打寄人別ニ勝負あひ不遂

 吟味候條御被見ニ御了簡可在

 御座候

  右二十九人御預之別承及候ハ

 松平隠岐守様へ  大石 主税

  掘部 安兵衛  中村 勘助

  菅谷 半之丞  不破数右衛門

  千馬三郎右衛門 岡野金右衛門

  木村岡右衛門  貝賀弥左衛門

  大高 源五

 毛利甲斐守様へ  吉田沢右衛門

  岡嶋八右衛門  武井 唯七

  倉橋 伝助   村松 喜兵衛

  杉野 十兵次  勝田新左衛門

  前原 伊助   小野寺幸右衛門

  間 新六

 水野堅物様へ   間瀨 孫九郎

          奥田定右衛門

  間  重次郎  村松 三太夫

  矢頭右衛門七  茅野 和助

  神埼 与五郎  三村三郎右衛門

  横川 勘平 

    以上

 

一筆令啓達候兼而我々

   此書面ニ余程端書哉有之候へ共予

 存立之通今月十四日之夜

   此砌役用繁多ニ付右端香ハ略ス

 同志相催吉良上野介殿

 屋鋪江推入候屋敷ニ居

 合セ候家来中出会候は薙

 切ニ打捨如本意上野介殿

 討取印ハ泉岳寺へ持参備

 亡君之眼前へ候去春以来之

 散鬱憤之儀大慶御察可被下候

           貴丈ニも

 御満足と存候定而先達演

 説は粗御聞及と令推量候

 御同名玄達老御登可被相

 達候へ共討入之次第引取之様子ハ

 玄達老も委曲御聞届有之

 間敷候有增之儀書付遺之候

 皆共も御預ニ被成候以来暫之

 余命と存候内生涯覚無之

 他ニも不承及御馳走共□以

 冥加至極難筆紙述仕合御座候

 追付罪名可被 仰付と相待

 罷在候段々之次第武運ニ□候儀

 本望此上不可在候右為可得

 御意余命之内如斯認置候

 恐徨謹言

     小野寺  十内

  十ニ月二十四日 秀和(花押)

       原  惣右衛門

          元辰(花押)

       大石  内蔵助

          吉雄(花押)

  寺井玄渓様

     人々御中

 

 追啓兼而相認候次並書付は

 及末期爰余役人中へ頼入進候

 半と存候之処存之外只今迄致

 延命候義不思議ニ候正月中は

 御仕置被 仰出も在御座間敷義

 左様ニも可有候ハゝ当月へ入候てハ早

 一両日中と存事ニ御座候然ル処此

 御役人中内海立漣へ御逢之衆も

 有之密ニ書通可被達之由ニ付如此

 御座候此度四十六人不残無事ニ罷在候

 外へ参候二十九人も不残無災之由度々

 承候玄達老旧冬二十六日爰許

 御出足と承候早速可為御出足

 之処二十六日迄御延引と令推量候

一手負候者近松勘六横川勘平

 両人ニて少宛之儀候勘六は誤而

 泉水へ落申旨敵出会申故数ケ

 所かすり手負申候はや致本複候勘□

 終之事ニて本庄ヨリ泉岳寺迄寺□

 仙石様迄も致歩行候之程之事ニ候

一怪我人ハ表ヨリ入候ものヽ内屋根を越

 申候ニ付雪隠の屋根ニてすべり候て

 惣右衛門与五郎落候て足をくじき申候

 其当座ハ働間に合セ候暫間在之

腫まし候て痛致迷惑候早速ヨリ

療治被仰候故大かた得快気候

与五郎も其通りと存候此節不及

療治儀ニ候へ共末期候而不自由間

苦敷もいかヽニ存医者被付置候而

養生いたし候

一主税は冬相煩候義玄達老可為

御演説候透と致本腹只今ニ至

無難之由每度承申候間可被御心易

一越中守様へ参候皆共段々御丁嚀

御結構之義とかく難申述候旧

冬は急々之義故御書院之次

御玄関之上之間二間ニ九人と八人と

被指置候其後外之所かこひ被仰付候て

先月末ニ移罷在候此御普請極月

二十四日ヨリ被仰付先月二十日頃ニ出来

越中守様態と此屋敷へ御出御見分

被成又御好ミに在之候而出来二十六日ニ

移替申候衣服ハ其当座ヨリ段々ニ

役人衆ヨリ罷出其外之儀何ニ不自由

無之候尤旧冬十五日之夜御屋敷へ参候

即刻越中守様御出随分御称美御

懇命之御□結構至極之儀ニ候

御預被成候儀御満足之御意ニ候其

後至此頃内記様御出御目見へ

いたし昨日ハ御同姓采女様主税様も

是へ御出□□□□御目見致生涯之

面目ニ候十五日以来御料理に迄御

叮嚀ニ而二汁五菜昼夜二三度

御馳走人初中後同前之御挨拶

□□も候へ□□□成次第と可被思召と

不謂儀迄如此ニ候

一其許了簡違之衆彼是爰許へ

下候由承候いか成所存にて至此時

□□□哉と存候岡井杢旧冬

二十八日ニ自滅之由兄弟衆之異見と

相聞候

一惣右衛門申候本書ニ喜六方へ御通シ

被下候様認候へ共外ニ便在之候て

通申候間不及其儀候罷登申儀は

 頼入存候

一伏見筋ニ御存候者か又は大塚屋方

 なとへ通□も候ハヽ片岡源五右衛門

 妻子伏見ニ在之間源五右衛門無事

 在之旨此次第も御伝可被下候

一十内宿之義此程御伝可被下候此

 書状御届き可被下候

一御仕置相済候と存候儀は外ヨリ

 可被申通候夏ニ至候ハヽ越中守様

 御帰国之□供ニ而候此衆中へ

 いつれも貴様御事申置□□□

 被下候衆有之候其節御聞届

 可被下候

一此度之儀首尾好噂のミ承候

 尤悪キ沙汰有之とて此節之

 身ニ可申聞人も無之候乍去此度

 之義此方仕損申候と存候義も無之

 候間□□□外之御仕置□□成

 罷間数哉と頼敷存候只今ニ至旧

 冬ヨリ栄躍宿後之楽不適之候

 恐徨謹言

      原 惣右衛門

 二月三日 小野寺 十内

      大石 内蔵介

  寺井 玄渓様

 

裏書〈朱書〉

 此一卷ハ大石氏自筆書面之由新町 木屋平次郎

 先年ヨリ大□□致所持候旨物語□□□及見申

 □□□□□合候処其後持参貸給候ニ付

 即熟読之処寔ニ実意自筆ニ可存候哉と写置候畢

   于時 文政八乙酉春三月中旬

                  三宅 安