長野市は長野県の北部にあり、県庁所在地である。長野盆地の大半とこれにつづく山地からなり、総面積は404.35km2で、その内訳は田36.79km2、畑68.91km2、宅地49.45km2、池沼0.31km2、山林132.60km2、原野35.92km2、雑種地11.42km2、その他68.95km2である。周囲は119.3kmで、東西26.9km、南北25.7kmである。北は牟礼(むれ)村、豊野町、東は小布施町、須坂市、真田町、南は更埴市、大岡村、西は戸隠(とがくし)村、中条村、信州新町の2市4町4村に接する。
市域のもっとも東は若穂保科(ほしな)笹平東300m付近の須坂市との境界で、東経138度19分20秒、もっとも西は信更(しんこう)町大字田沢字小花見池南西400m付近の上水内(かみみのち)郡信州新町との境界で、東経138度01分10秒、もっとも南は松代町大字西条高遠山頂南100m付近の小県郡真田町との境界の北緯36度30分22秒、もっとも北は飯縄(いいづな)山頂北方200m付近の北緯36度44分18秒で、上水内郡戸隠村・牟礼村と接する。最高点は飯縄山頂の標高1917.4m、最低点は長沼津野八幡神社西700mの水田で、標高330.9m、標高差1586.5mである。ちなみに長野市役所は東経138度11分47秒、北緯36度38分45秒、標高362.5mである。
一般に「長野」の「なが」の語源は「流れる」に関連する長くのびた地形で、緩い傾斜地を意味し、これに「野」が結びついたものといわれ、長野市の場合も周辺の地形とよく適合している。
長野市は1889年(明治22)4月、町村制施行により4町1ヵ村が合併して新しい長野町となり、1897年(明治30)市制施行により県内で最初の市として長野市が誕生し、長野県の県都として中央の出先機関や経済・文化面にわたる中心的機関が集中した。その後、1923年(大正12)に吉田町・三輪・芹田・古牧(こまき)の1町3ヵ村を編入合併、1954年(昭和29)には朝陽・柳原・浅川・若槻・古里・長沼・安茂里(あもり)・小田切・大豆島(まめじま)・芋井の10ヵ村を編入合併した。1966年(昭和41)に篠ノ井市、川中島・松代・若穂町、信更・七二会(なにあい)・更北村の1市3町3ヵ村を合併して、現在の大長野市が形成された。1897年(明治30)市制施行当時は、面積9km2、人口3万人たらずの小都市に過ぎなかったが、1996年(平成8)現在は面積404.35km2、人口約36万人の大都市となった。
長野市は古くは善光寺門前町、北国街道の宿場町、市場町から人口36万人の県都にふさわしい地方中核都市に発展してきているが、市内にはJR信越本線・篠ノ井線のほか、国道18号・19号・406号・上信越自動車道が走り、近く北陸新幹線の開通が予定され、待望の高速交通の時代に入り、ますますの発展が期待されている。