第1節 地形の概説

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 長野市は「日本の屋根」と呼ばれる本州中央高地に位置し、日本国内の人口30万以上の都市、あるいは県庁所在地としてはもっとも高所に展開する都市である。長野市の最高点は飯縄(いいづな)山山頂の標高1,917m、最低点は長沼の標高330mで、市域の標高差は、1,580mに達する。しかし、この標高差は、長野県のなかではさほど大きいとはいえない。むしろ低い部分に大きな広がりをもつのが、県内において長野市のもつ大きな地形的特色である。

 図2-1は、長野市全体がどのような高さに広がっているか、市域の高度分布を長野県全体と比較してあらわしたものである。長野県は、「山国」、「高地」などと呼ばれるだけに、全体的に標高が高く、600m以下の土地は、県全体の11.5%を占めるにすぎないが、長野市だけをとり出すと、それが58%もの比率になる。


図2-1 高度面積比曲線

 高度分布に見られるこの特色は、長野市が盆地の底の平坦(へいたん)な土地に恵まれていることに通じる。図2-2は、傾斜階級別面積比率を、やはり長野県全体のそれと比較して示したものである。この図から、20度以上の急傾斜地の比率が大きい長野県内にあって、対照的に3度未満の平坦地の広がりに長野市の特色が明らかである。市域の平坦地は、飯綱高原や犀(さい)川河谷、裾花(すそばな)川河谷にもわずかながら分布するとはいえ、ほとんどは盆地内に広がる。


図2-2 傾斜階級別面積比率(単位 %)

 このように長野市が低平な土地を広く有するという地形的条件が、土地利用の可能性を大きくし、経済活動に有利に作用してきたことは軽視できない。長野市が中央高地最大の都市に発展した要因として、県庁所在地という社会的条件と並んで、この土地基盤の優位性にあらためて目を向けておきたい。

 長野市は北部フォッサ・マグナ地域のなかに位置し、古来善光寺平と呼ばれた長野盆地とその東西の山地に市域を広げる。盆地は千曲川と犀川の合流点を中心にひらけ、上流の佐久盆地、上田盆地、松本盆地、下流の飯山盆地、十日町盆地など信濃川流域に分布する盆地群の中央の位置を占める。

 長野盆地の形状を概観すれば、南西-北東方向に伸びた縦長の楕円(だえん)形ないしは紡錘(ぼうすい)形を呈し、本流の千曲川がその長軸方向に縦貫している。盆地の横幅は、西から犀川が流入する辺りで10km内外ともっとも広く、その広い部分を長野市域が占める。盆地の西側の山麓(さんろく)線は、直線ないしは大きな弧(こ)を連ねた単調な形状を呈するが、これと対照的に東側の山麓線は、出入りが多く複雑に屈曲している。盆地西縁部には数多くの活断層が分布し、長野盆地西縁活断層系を形成している。西側の直線的な山麓線は、この活断層系を境とする山地側の隆起と盆地側の沈降を地形に反映したものである。以下、市域を西部山地、東部山地および盆地の3地域に大区分し、地形を概観する。

 西部山地の北部にひときわ高くそびえる飯縄山は、第四紀の火山岩類から構成される大規模な複式成層火山である。秀麗な円錐形の火山体を中心とする一帯は上信越高原国立公園に指定され、総合的な自然の価値の高い地域であるが、広大な火山山麓は飯綱高原と呼ばれ、県下有数のリゾート地となっている。


図2-3 長野市とその周辺の地形分類

 飯縄火山地を除く西部山地はいわゆる犀川丘陵地の東縁部にあたり、主に新第三紀の堆積(たいせき)岩層から構成される山地である。陣場平(じんばだいら)山(1,258m)の山塊と高雄山(1,166m)の山塊を除けば、標高600~1,000mの丘陵性の山地が主体で、盆地底からの比高も500m以内である。山頂部は一般に波浪状のゆるやかな地形をなし、大峰面と呼ばれる侵食平坦面の分布が指摘されている。平坦面上には多くの集落が立地し、田畑がつくられている。この侵食面以下の地域は、犀川、裾花川およびその支流によってさかんに侵食の復活がおこなわれているため、山地の地質構造ともあいまって、わが国有数の地すべり多発地帯となっている。

 三登(みと)山(923m)から旭山(785m)、茶臼(ちゃうす)山(730m)とつづく長野盆地西縁を画する山々は、主に裾花凝灰(ぎょうかい)岩層からなる急斜面を盆地に向けている。犀川および裾花川の渓口付近は深い峡谷をなし、裾花凝灰岩の白い絶壁をそばだたせている。これらの地形的特徴は、断層を境にして西側の山地が激しく隆起していることを反映している。この断層崖(がい)には激しい侵食が進行していて、山腹には地附山や茶臼山の地すべりに代表される崩壊・地すべり地形、山麓には崖錐(がいすい)・押し出し地形が数多く分布する。裾花川、犀川および聖(ひじり)川沿岸には狭い谷底低地と河岸段丘(台地)が分布し、農地や集落に利用されている。

 長野盆地の東縁を画する東部山地は河東山地とも呼ばれ、主に第三紀中新世の堆積岩類とこれを貫く石英斑岩(はんがん)・ひん岩・閃緑(せんりょく)岩類および火山岩類からなっている。山地の地形は全般に北西側の山地に比して急峻(きゅうしゅん)で起伏が大きく、妙徳(みょうとく)山(1,294m)、奇妙(きみょう)山(1,100m)、尼厳(あまかざり)山(781m)、ノロシ山(844m)などの壮年期地形を呈する山岳が盆地底から急激に突出している。これらの山々は盆地に向かって半島状に山脚を突出し、ついには、千曲川の氾濫原および支流の扇状地下に没している。盆地底の氾濫原(はんらんげん)・扇状地面と山地とが接する山麓の傾斜の移り変わりはきわめて明瞭である。山域の最高点は保基谷岳(1,521m)で、西方の高遠山(1,221m)へとつづく高所をなし、真田町に属する神(かん)川流域との分水嶺となっている。

 東部山地の地形を図2-4の接峰面図で大観すると、全体的に長野盆地に向かって低下する一大斜面状の地形を呈しており、山地の北西方向への傾動(赤羽,1980)をうかがわせる。千曲川支流の保科川、藤沢川、蛭(ひる)川、神田川の各河川が必従的に(この一大斜面に沿って)北西方向に流下し、山地を深く刻んでV字河谷を形成するいっぽう、下流部では上記山脚の間の盆地の湾入部を埋積する扇状地地形を発展させている。


図2-4 長野市とその周辺の埋谷接峰面図
接峰面図は、山地に大きな布をかぶせた時にできる仮想的な曲面を等高線で表わしたもので、複雑な山地地形を概観するには好都合である。この図は谷幅500m以下の谷を埋めて作成した。

 山地は全般的に壮年期地形を呈し、大部分は傾斜20度以上の急斜面から構成されるが、高遠山から地蔵峠(1,092m)にかけて山頂部に緩やかな斜面が分布し、ほぼ同高度の山稜(さんりょう)が連続する。山麓部には上記の扇状地に加えて、より小規模で急勾配(こうばい)の堆積地形(麓屑面)がところどころに発達している。また、松代の扇状地に孤立する皆神(みなかみ)山(659m)は、新期の火山地形として、この山地のなかでは特異な性格をもつ山である。

 長野盆地の平坦な土地をもたらしたのは、沈降する盆地域に流入する千曲川や犀川その他諸河川の堆積作用である。盆地を縦貫する千曲川は、上流で供給された土砂をその流路沿いに堆積してきた。この区域は盆地内でもっとも低位かつ平坦であり、現代も洪水の頻度が高い土地である。千曲川の流路を見ると、盆地の南部では、西から流入する犀川の活発な堆積作用の影響により盆地床の東部に偏り、山麓に接近している。そして、犀川との合流点から北流するにしたがい、東方から流入する百々(どど)川、松川、夜間瀬川などの堆積作用の影響が強まり、流路を盆地中央から西寄りに移している。千曲川に合流するこれら支流諸河川の活発な堆積作用は、犀川の大規模扇状地をはじめ、それぞれの流域に展開する扇状地地形の発達によくあらわれている。上記河川のほか、西からは裾花川、浅川、東からは神田川、蛭(ひる)川、保科川などが盆地内に堆積作用をおこない、中小の扇状地を形成している。要するに、盆地床は本流沿いの低平な千曲川氾濫原と、やや傾斜した扇状地とから構成されていることがいえるが、大半を構成するのは後者である。