飯縄火山地

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市域の北西部を占める飯縄(いいづな)火山は、上水内郡戸隠村・牟礼村・信濃町にまたがる大規模な複式成層火山で、標高1,917.4mの最高点は戸隠村との境界に位置する。直径約2.2kmの馬蹄(ばてい)形のカルデラが北西の戸隠村側に開いており、内部に、瑪瑙(めのう)山(1,748m)、怪無(けなし)山(1,549m)、高デッキ、天狗(てんぐ)岳などの中央火口丘が、北西および南西山腹に中ノ峰、笠山、富士見山、大頭(おおつむり)山などの側火山がある。主峰とその北方の霊仙寺(れいせんじ)山が外輪山をなし、市域はその東から南側の斜面に広がる。火山体の周囲には、標高1,000m内外の高位の火山麓が展開しており、市域の一部である南麓を飯綱原、東麓を東飯綱原といい、あわせて飯綱高原と呼ばれる。

 飯縄火山は更新世中期から後期に基盤の新第三系のうえに噴出してできた山で、長野市側の南から南東の山麓部は大峰山地にのっている。長野市街地から望む飯縄山は、大峰山地の背後にそびえて見えるが、さらに南東方から距離を隔てて望むと、台地状の飯綱高原が大峰山地と同高度以上にひろがり、大峰山地のうえに山麓をあわせた大型の成層火山体が形成されていることがわかる。火山の構成物は飯縄山古期火山岩類と同新期火山岩類に大別され、それに対応して火山活動史も第Ⅰ期と第Ⅱ期に大別される(早津,1985)。それらの火山活動もおよそ15万年前に衰え、以後は侵食による火山体の開析と山麓部への砂礫(されき)の供給が進行してきた。

 現在見る複式成層火山体は、開析・破壊された第Ⅰ期火山体のうえに第Ⅱ期の一連の火山活動がなされた結果形成されたものである。すなわち、溶岩と火山砕屑(さいせつ)物がくりかえし噴出して、円錐形の成層火山が形成されたのち、山頂火口部を含む山体の崩壊、侵食などにより北西に開くカルデラができ、その後さらに、瑪瑙山、笠山、中ノ峰、高デッキ、天狗岳、怪無山、富士見山、大頭山などの溶岩円頂丘がつぎつぎと形成されたものである。

 主峰や霊仙寺山からなる外輪山の構成岩石は輝石安山岩で、斜面上部から中部には溶岩、下部には火砕流堆積物が露出している。南東斜面の尾根部では標高1,050~1,100m以上が溶岩で、上部は30度以上の急斜面をなしている。山腹はいくつもの放射谷によって開析され、谷頭部では崩壊も進行している。

 飯綱高原を構成するのは、上記の火砕流堆積物と、それをおおう火山麓扇状地堆積物である。火山麓扇状地は火山体を刻む放射谷から供給された岩屑が山麓に堆積して発達した一種の扇状地で、岩屑は土石流の形態で供給されたものが多い。南麓の麓原から一ノ鳥居園地一帯にもっとも広く分布している。

 高原には、大座法師(だいざほうし)池をはじめ猫又池、大池、上一の倉池(飯綱湖)など多数の池を含む湿原・沼沢地が火山をとりまくように点在し、そこには泥炭層を含む新期の湖沼堆積物が分布している。そして、高原の外周にあたるところは沼沢地より少し高く、火山体に向かってわずかに逆傾斜の地形になっている。湖沼の多くは堰堤(えんてい)をともない、現在では人工的要素が強いが、湖沼堆積物の形成は人工化のはるか以前からのものであり、逆谷地(さかさやち)湿原の場合はおよそ7万年前にさかのぼることが明らかになっている(長野市自然復元基本調査委員会,1992)。このような地形が生じた原因については、火山体の自重による沈下が説かれている(八木・八木,1958;Suzuki,1966,1967)。


写真2-1 飯縄山と大座法師池