三登山地と大峰山地

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飯綱高原の南から東をとりまく標高700~900mの山地は、火山体の基盤をなす新第三紀~下部更新世の堆積岩から構成されている山地である。この山地は裾花川とその支流や浅川・駒沢川・田子(たこ)川などによる河川侵食、地すべり、断層活動などをこうむるとともに、地質の差異も地形に反映して複雑な起伏を呈している。

 三登山(923m)から大峰山(828m)、葛(かつら)山(812m)につづく長野盆地西縁を画する山々は、主に中新世の裾花凝灰(ぎょうかい)岩層からなる急崖(きゅうがい)を盆地に向け、その山麓線は、単調な弧(こ)状を呈する。この位置には、田子断層と呼ばれる東落ちの活断層がのびており、盆地側の沈降と山地側の隆起にかかわっていると推定される。


写真2-2 三登山の南東面

 このうち、三登山はもっとも崖高が大きく、比高400m内外の急崖で盆地に臨んでいる。崖面は必従谷(地表面の最大傾斜の方向に刻まれた谷)に刻まれ、数本の山脚が発達しているが、中間部に山麓線と平行する断層線が走り、それに沿って中段状の部分が並列する。崖麓には、裾花川の高位段丘に対比される標高500~520mの段丘面が断続的に分布しているが、それらの山側にも断層線が並走している。このように三登山の南東面は、辻村(1942)の述べた「日本において最も明瞭な階段断層崖」に相当する地形の一つである。


図2-5 飯縄火山とその周辺のブロック・ダイヤグラム(鈴木,1968)

 三登山の北東に孤立し、山頂に一等三角点の置かれている髻(もとどり)山(745m)は、小型の火山地形である。若槻西条の集落がのる周辺部は更新統の軟質な堆積物からなる丘陵で、この丘陵上に比高100m足らずの輝石安山岩質の溶岩ドームが突起する。髻山の東南方、田子池の北東の標高706m高地と655m高地(ゴウロウ山)も同質の溶岩から構成され、半ドーム状の山容を呈する。


写真2-3 髻山とソバ畑

 三登山の東方、盆地底とのあいだには標高400~580mの低い丘陵(若槻・豊野丘陵)がある。丘陵の主部は下部更新統の堆積層であるが、丘陵の表層部は中部更新統の湖成堆積物でおおわれている(赤羽ほか、1992)。隈取川以南では長峰丘陵とも呼ばれ、東側は急な撓曲(とうきょく)崖となって盆地に落ちこむ。丘陵の頂部には比較的平坦な地形面が広がるが、この面は西方に緩く傾動して西半部は三登山から流下する諸渓流が形成した沖積錐(小扇状地)におおわれ、そこを北国街道が通過する。田子川は長峰丘陵に小規模の先行谷(25ページ参照)をうがっている。

 駒沢川以南においても裾花凝灰岩からなる山地斜面は急峻(きゅうしゅん)であるが、長野市霊園のある展望台(718m)や地附山(733m)、大峰山など、山頂部に小起伏面をもつ山が多い。地附山山頂部やブランド薬師付近の山頂(689m)には風化の進んだ古い砂礫層が分布することから、標高700m内外の小起伏面は河成段丘の性格をもつ地形面である。これらの山地を横断する駒沢川や南浅川・北浅川は両岸の切り立った狭い峡谷をつくっている。北浅川と南浅川の峡谷の下流部、谷口にあたる部分は滝となり、明瞭な遷急点を形成している。いずれも、山地側のさかんな隆起を物語る現象として注目に値する。


写真2-4 北浅川の滝


写真2-5 南浅川の滝

 しかし、山地をさらに北西方に入ると、地質は裾花凝灰岩層から論地層・大久保層・荻久保層・猿丸層等の泥岩・砂岩層に変わり、これにともなって地形の様相は一変する。山地の高度は変わらないが、起伏量は減少し、斜面傾斜が緩くなって、全体的に、丘陵性の地形に変わる。裾花凝灰岩層の地域と泥岩・砂岩層(とくに泥岩層)地域の地形の差異は、差別侵食によるところが大きい。この場合、風化・侵食に対する抵抗性が凝灰岩の方が泥岩より大きいことはいうまでもないが、地すべりの作用も無視できない。凝灰岩山地においても、1985年に大崩壊した地附山をはじめ、真光寺・福岡等、地すべりの分布はけっして少ないとはいえない。とはいえ、過去における地すべりの痕跡(こんせき)をとどめる地形(地すべり地形)の分布頻度は、泥岩層の地域でとくに大きく、この地域では地すべりが山地の主要な地形形成プロセスとなっているといっても過言でない。


写真2-6 地附山地すべり(1985年7月)