富士ノ塔山地と陣場平山地

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長野市街地の西方にそびえる旭山(785m)と富士ノ塔山(992m)は、標高1,000mに満たないとはいえ、個性的な山容で強い印象をあたえる山々である。裾花凝灰(すそばなぎょうかい)岩から構成されるこの山塊は、東は長野盆地に臨み、南北を犀川と裾花川の峡谷にはさまれて、西部山地のなかでは急峻な地形を形成している。山地内にはV字谷が樹枝状に発達し、山腹も一般に急斜面で、総じて壮年期山地の特徴を呈する。ただし山頂部は一般に緩やかな傾斜で、旭山、富士ノ塔山の山頂付近や旭山西方の夕日山(816m)、富士ノ塔山北東の二俵山(890m)などに侵食小起伏面が認められる。山地東面は長野盆地西縁の一連の断層崖の一部をなすが、旭山東麓の平柴(ひらしば)地籍には西上がり東落ちの数本の平行する活断層によってつくられた階段断層崖の地形が見られる。


写真2-7 旭山と裾花川


写真2-8 富士ノ塔山(犀川より)

 山地を構成する裾花凝灰岩はところによって風化してベントナイト化し、侵食を受けやすくなり、裸地化した斜面では雨食作用によって悪地地形(バッドランド)が発達している。とくに小市地区にはこうした悪地地形が多数見られる。

 犀川と裾花川にはさまれ、富士ノ塔山地の西に位置する山地を陣場平山地として一括するが、陣場平山(1,258m)や中条村域の虫倉山(1,378m)など両河川の分水嶺をなす山地と、その南から東に広がる山麓地域とでは、高度、起伏量、斜面傾斜など、地形的に明らかな差異があり、このことから虫倉山地と七二会丘陵地のような地形区分もなされている。前者は主に荒倉山火砕岩類の塊状溶岩や、凝灰角礫(かくれき)岩から構成され、後者は軟質の泥岩と砂岩(主に泥岩)から構成されることから、岩質の違いによる差別侵食が、両者の地形の差異を生みだしたものである。


写真2-9 陣場平山地(犀川の対岸より)

 陣場平山を中心とする標高800~900m以上の山塊は険阻な山容を呈し、西部山地のなかでは一段と高く抜きんでて連なっている。これは、山地の侵食が進んで周辺一帯が準平原化したときにおいても、硬質の荒倉山火砕岩類が侵食に対する抵抗体として取り残されたものであり、このような地形を硬岩残丘という。険阻な山容は、急崖を維持しやすい火砕岩特有の性質によるもので、戸隠連峰や荒倉山などと共通性がある。山塊の南縁から東縁には急崖が連続し、その基部には崖錐(がいすい)が発達している。火砕岩層は地下水をよく貯留し、急崖(きゅうがい)の基部から豊富な湧水がある。急峻な山腹部に対して山頂部は「陣場平高原」とも呼ばれる起伏の小さい平頂山稜を連ねている。

 陣場平山の山塊と犀川河谷との中間地域には、標高900m以下の低く緩やかな丘陵性の山地が広がっており、そこに多数の村落が分布している。この山地の地形上の大きな特色は、頂面が広く平らで、かつ、それらの高度が均平化されて平坦な接峰面をなし(図2-4)、遠くから眺めると高原のように見えることである。このような高位の小起伏面(高位地形面)は、松本盆地にいたる犀川流域の山地に広く発達するもので、第四紀更新世前期の準平原化作用により形成された侵食面と考えられ、大峰面群と呼ばれている(小林,1953;小林・平林,1955;仁科,1972)。

 高位地形面の高度は均一というのではなく、尾根部を基準にして整理すると、850~1,000m、700~800m、600~670mの各高度帯に3区分できる。南流する除沢(よけざわ)、矢沢、保玉沢などの小渓流の刻む谷は、高位地形面の部分では浅く不明瞭であるが、犀川に近い下流部はいずれも狭いV字谷に変わる。これは犀川流路を中心とした地形の若返り(回春)を示す現象で、侵食小起伏面形成後の隆起を物語るものである。

 本地域は地すべり多発地帯の実例としてよく紹介されるだけに、倉並、川後、西河原をはじめ最近の活動の示す地すべり防止区域も数多く存在する。地すべり地形は泥岩・砂岩地域に広く認められ、山腹には階段状の地形や不規則な凹凸を示す微地形が多い。地すべり地形は回春谷の周辺に多く、地すべり多発の要因として、地質的要因とともに、山地の隆起にともなう侵食の復活という地形的素因に目を向けることも重要である。


写真2-10 倉並付近の地すべり地形


図2-6 陣馬平山地の水系と地すべり地形の分布