茶臼山地と篠山山地

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長野盆地に面する茶臼(ちゃうす)山塊の宇土沢以北は裾花凝灰(すそばなぎょうかい)岩層から構成されており、盆地側あるいは犀川河谷に臨む山腹は急峻で、岡田川上流や天狗(てんぐ)沢ではV字谷が発達している。写真のような悪地地形の分布も、犀川の左岸の富士ノ塔山地と同様に目につく。上部の地形は緩やかで、標高650~730mの比較的平坦で広い山稜を南北に連ね、台地状の山容を呈する。最高峰の茶臼山(730m)は、裾花凝灰岩層から成る連峰の南端に位置する山である。

 有名な茶臼山地すべりは、この裾花凝灰岩層と上位の論地泥岩層との境界部で発生した大規模な地すべりで、延長2,000m、幅130~430m、面積46haにおよぶ。以前は茶臼山と並んで茶臼山南峰(720m)がそびえていた(写真2-12)が、武田信玄が陣を構えたというこの南峰は崩壊した。この地すべり地の南に柳沢集落の立地する広い緩やかな斜面がある。この緩やかな斜面は厚さ約20mの崩積性の岩屑から構成され、更新世中期末から後期に大規模な土石流堆積(たいせき)物が形成されたと推定される(加藤・赤羽,1984)。


写真2-11 中尾山のバッドランド(悪地地形)


写真2-12 1913年(大正2)ごろの茶臼山

 茶臼山塊の南西に広がる丘陵性の地域は主に軟質の泥岩・砂岩層から構成されている。このうち信更町古藤-氷ノ田より東の区域には顕著な山岳はない。この西に位置する虚空蔵山(岩倉山,764m)は1847年(弘化4)の善光寺地震により北西、西および南の3方向に崩壊したが、とくに西方の涌(わく)池側は、19日間にわたって犀川をせき止める大崩壊となったことで知られる。

 この山地の西部、信更町三水(さみず)から同吉原の背後につづく虚空蔵山(873m)山塊の北面には、比高100~150mの直線的な急崖が連なる。この連崖は硬質の久米路火砕岩層を主体として構成されており、差別侵食により形成されたものである。これに対して、虚空蔵山の南側、高野川上流域には、標高720m内外の小盆地がある。盆地底は平坦で、更新世後期の中ごろ(約8万年前から5万年前)に堆積した厚さ20~30mの砂礫(されき)層やシルト層から構成される(加藤・赤羽,1984;木村(1986))。


写真2-13 虚空蔵山の急崖

 聖川河谷の南側の篠山山地は、篠山(908m)と高雄山(1,166m)の両山塊からなる。ともに、裾花凝灰岩を不整合に被覆する鮮新世の輝石安山岩質の火山岩類から構成され、地層は北西へ緩く傾く構造を示している。東西に連なる篠山の山稜は、標高900m内外の等高性を示しており、とくに篠山の山頂付近には高原状の緩やかな斜面が広がっている。山腹は侵食が進み、谷と尾根が密に発達する壮年期的な地形を呈するが、谷の下流部は岩屑によって埋められ、聖川の谷底平野に接して急傾斜の小扇状地(沖積錐)を形成している場合が多い。

 高雄山を構成する火山岩類は、篠山火山岩の下位の聖山火山岩に属する。この山塊も多数の谷に刻まれているが、急峻な南東側に対して長野市域を含む北東側の斜面は緩く、明らかに非対称な地形となっている。

 茶臼山地と篠山山地のあいだを流れる聖川は、川沿いに細長く延びる谷底平野を形成している。大森から山田にかけて、谷底平野は非常に平坦で水田が開かれ、大森、小日向、中組、日向、山田などの集落が左岸側に発達する河岸段丘上に立地している。聖川は山田の下流で一変して急勾配となり盆地に注いでいる。以上のような聖川の地形の特色は、西部山地、とくに盆地との境界部における隆起の傾向を示すものといえる。


写真2-14 聖川の谷底平野