河岸段丘が明暸(めいりょう)にみられるのは、犀川と裾花川に沿う地域で、ほかの河川沿いには明瞭な段丘が認められない。また、犀川と裾花川沿いの段丘のほとんどは、新第三系を侵食して形成された侵食段丘であり、これらの段丘面は数m以下の薄い礫(れき)層でおおわれている。したがって、現在段丘堆積物が確認できるのは、河川沿いで段丘面が広く明瞭な段丘に限られる。
犀川沿いで段丘堆積物が広く分布するのは、信更(しんこう)町の下三水(さみず)・上尾(あげお)・氷熊(ひぐま)・安庭(やすにわ)・古宿・下平、七二会(なにあい)の大安寺・笹平・瀬脇(せわき)・飯森、篠ノ井山布施の村山や瀬成(写真2-53)などの地域である。これらはいずれも犀川との比高が100m以下の段丘で薄い砂礫層を載せている。また、これらの砂礫層は、顕著なテフラを載せていないことから、段丘の形成時期は更新世後期以降である。
裾花川沿いの段丘堆積物の分布は、犀川に比べるとさらに小規模となる。しかし、下流の西長野周辺では、古期の扇状地堆積物を侵食して4段ほどの侵食段丘が発達する。