盆地の地下構造

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盆地を埋積する堆積(たいせき)物は、どのように盆地内にたまっているのだろうか。松代地震が盛んであったころ、地震の原因を究明するための一環として、長野盆地を横断する方向の地下深所の地殻断面を明らかにするために、人工地震による調査がおこなわれ、図2-16のような盆地地下の断面が描かれた(Asano et al. 1969)。この図は、地下を伝わる地震波のスピードの違いによって区分した、地下5kmくらいまでの構造をあらわしている。数字は1秒間に伝わる速さをあらわし、硬い岩石ほど速いスピードとなる。6.0km/s層は閃緑(せんりょく)岩やひん岩などの深成岩類に相当し、4.0km/s層は新第三系に、2.0km/s層は鮮新統(せんしんとう)の火山岩類や盆地内に堆積している砂礫層に、1.0km/s層は盆地内の沖積層に相当すると考えられる。


図2-16 長野盆地の地下構造(Asano et al. (1969)に加筆)

 この図で興味深いのは、4.0km/s層が長野盆地の西縁部で極端に厚さが変化することと、2.0km/s層や1.0km/s層が盆地の西縁部ほど厚く東側で薄くなる点である。4.0km/s層の変化は、ここに地下深部に達するような大きな断層が存在し、新第三系の堆積時に活動していたことを物語っている。2.0km/s層の断面は、盆地内に堆積した堆積物が盆地の西側ほど厚く、東側ほど薄く堆積したことを示している。

 この盆地内に堆積した厚い堆積物が直接確認されたのは、長野市権堂でおこなわれた温泉掘削の結果であった(図2-17)。ここでは地下765mまでのボーリングがおこなわれたが、それでも盆地の底の新第三紀層には達しなかった。しかし、少なくとも765m以上の堆積物が盆地に堆積していることが初めて実証された。また、このボーリング場所の標高が365mであるので、盆地形成初期の堆積物は海面下400mに沈んでいることも明らかとなった。これらの堆積物は、図に示すように大半が砂礫層であり、シルト層や砂層をはさんでいる。このシルト層はときどき湖のような状態のときがあったことを示している。砂礫層のほとんどは扇状地性の砂礫層である。


図2-17 長野市権堂におけるボーリング柱状図