石油・天然ガス

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1847年(弘化4)の善光寺地震のとき、伺去真光寺(しゃりしんこうじ)で地盤に亀裂(きれつ)が生じ、石油と天然ガスの発散が認められた。真光寺では、明治初年に、主に手掘りで2井掘さくされたが、その年産額は150石余(1石は約180L)と少なく、しかも年々、産油量が減少したので、昭和20年ごろまでにすべて廃止された。

 小田切小淵では、1922~23年(大正11~12)ごろ、日本石油(株)によって、綱掘りで2井試掘されている。1号井は深さ570mまで掘さくされ、そのあいだに天然ガスの噴出があったが、石油の徴候がなく、掘り止めとなった。2号井は、495mまで掘さくされたが、好結果を得なかった(『上水内郡地質誌』八木貞助・健三,上水内教育会,358頁)。この試掘付近は小田切背斜の軸部に当たっている。

 善光寺温泉では、温泉(27.7℃)とともに天然ガスが出る。天然ガスは温泉を高温にするための燃料として用いられていた。なお、茂菅(もすげ)の裾花(すそばな)川の河床に露出する裾花凝灰(ぎょうかい)岩層中から、現在もごく少量の天然ガスと石油の滲出(しんしゅつ)が認められる。