茶臼山地すべり

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茶臼山地すべり地は、長野市中心部から南西約10kmの篠ノ井地区にある。形態は図2-19に示すように長さ2,000m、幅130~430m、面積は約46ha、滑動層の深さは平均20mで、移動土塊量は約900万m3と見積もられている。


図2-19 茶臼山地すべり変遷図

 地すべりは、はじめ上方800m間で発生し、その土塊が山麓にあった滝沢川の流路に沿って滑動して現在の形となった。したがって、上方800m間は地すべり発生地帯、下方1,200m間は二次地すべり地帯と呼ばれている。

 地すべり地の北方には現在、標高730mの茶臼山北峰がある。昔は、この南に並んで標高720mの南峰があったが、この山体の東側が岩盤もろとも滑動し、山体の半分が失われてしまったのである。この滑動の誘因となったのは1847年(弘化4)に発生した善光寺地震であったとみられている。

 地すべり地は第三紀中新世の堆積(たいせき)岩からなっている。地すべり発生地の茶臼山南部は、裾花凝灰(すそばなぎょうかい)岩層とその上に整合に重なる砂岩・泥岩層(論地層)との境界部に位置している。砂岩・泥岩層の最下部には炭質泥岩層が発達している。すべり面はこの炭質泥岩層中に存在し、その上位層が炭質泥岩層の走向方向(地層面と水平面との交線の方向)に滑動したものである。

 茶臼山地すべりの活動史は、つぎのとおりである(土尻川砂防事務所,1992)。

  第1期 1847~1883 準備期

  第2期 1884~1929 地すべり発生地帯の山体に変状が起こる。

  第3期 1930~1943 地すべり発生地帯から下流への押し出しがある。

  第4期 1944~1964 2回目の下流への押し出しがある。

  第5期 1965~現在 はじめ活動がやや活発化したが、その後、急激に安定する。


写真2-68 茶臼山地すべり地(1969年(昭和44)撮影)

 全体の移動速度は1960年(昭和35)ごろまではかなり大きかったが、その後漸減した。1965年から再び速度が増加してきたが、昭和40年代以後に、地すべり発生地帯において、深井戸工、排水トンネル工などによる強力な排水工事が実施された。その効果が明瞭にあらわれ、1975年以後は地すべり発生地帯はほぼ安定した。その跡地は現在、長野市が自然植物園および動物園(地すべり地外)として利用している。