3 洪水

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 長野市を流れる千曲川と犀川の流域では、これまで幾度となく洪水被害に見舞われてきた。

 近年では、千曲川は1981~83年に4回の洪水を起こしている。この4洪水による主な浸水氾濫区域は松代町と若穂川田であった。

 松代町では、千曲川の水位が上昇すると、支川への逆流防止のため蛭(ひる)川水門を閉鎖するため、天井(てんじょう)川となって後背湿地を流れる蛭川とその支川の藤沢川、神田(かんだ)川などが氾濫したものである。松代の温泉団地の水害は、以前は沼であり、遊水地として機能していた区域を埋め立てて団地造成したことが、造成後の地盤沈下もあって、水害の原因となった。


図2-24 松代町の氾濫区域図

 若穂川田地区では、千曲川に流入する赤野田川をはじめとする各水路の排水不良および流末の牛島ポンプ(1.5m3/s)の能力不足が氾濫の原因であった。

 要するに、1981~83年の内水域の氾濫は、千曲川本川の洪水位が高く、しかもその継続時間が長かったこと、また、その外水位と内水域の降雨流出のピークが重なったために起こったものである。

 内水域の氾濫を防ぐための蛭川改修事業は、1961年に着手され長野県によって施工されている。神田川については、神田川放水路により流量の全量を千曲川に流す計画とし、現在ある蛭川水門と同様に、洪水時に千曲川から神田川放水路への逆流を防止するための水門(建設省)が平成6年に完成している。

 長野市北部と豊野町を流れる千曲川支流の浅川下流域も、1983年の台風10号で浸水家屋348戸、浸水面積約200haの被害を受けた。同地区は1981、82年にも水害を受けている。

 浅川は、その源を飯縄山(1,917m)に発し、山間部では東南に流下するが、平野部の富竹付近から肱(ひじ)曲がりと称して東北に折れ、豊野町浅野の東で千曲川に入る。かつては富竹からまっすぐ東流して長沼を経て千曲川に合流していたが、江戸時代の初期ごろ、佐久間氏が長沼城を改築するに当たって河道の付け替えをおこなったため、現在は平野のあいだを迂曲(うきょく)して流れる不自然な川となってしまった。すなわち川の長さが長くなり、勾配もゆるくなって、水はけが悪くなった。このため、千曲川の水位が上昇すると、浅川にたまった水がはけ切らず、たびたび家屋や農地の浸水被害を生じてきた。

 現在、浅川の改修は、川を拡幅するだけでなく、上流に浅川ダムをつくって洪水を調節する計画が進められている。