中新世の後期(800万年前)になると、長野盆地の西縁(せいえん)部に沿って層厚1,500mを超える大規模な流紋岩質の火山活動が始まった。この活動は、休止期をはさみ前期と後期に分けられる。前期の噴出物は、黒雲母(うんも)デイサイト~流紋岩質の溶岩・水冷破砕(すいれいはさい)岩・火砕岩からなり、茶臼(ちゃうす)山から小市(こいち)にかけて広く分布する。これらは岩脈や海底土石流・礫岩などをともなっている。後期の噴出物は、角閃(かくせん)石や黒雲母を含む流紋岩質の火砕岩層に富んでいる。
裾花凝灰岩層の溶岩や水冷破砕岩・岩脈などは、盆地の西縁部に沿って北の三登(みと)山から南は篠(しの)山までの25kmにわたって分布し、これらの噴出が盆地西縁に沿って噴出した火山活動であることを物語っている。また、この噴出場所は当時の陸に近い海中でおこなわれた。当時の海岸は、盆地西縁部より東側にあった。この火山活動による噴出物は、日本海側へも広く分布し、新潟県下でも確認されている。