広がる平野(大峰面の形成)

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猿丸層の堆積後の150~100万年前には、水内(みのち)層や灰原(はいばら)層が堆積した。信更(しんこう)町地域には、聖(ひじり)山や篠(しの)山の安山岩起源の砂礫(されき)層が、猿丸地域には北アルプス方面の古期岩類の砂礫層が、浅川地域には東部山地起源の砂礫層が堆積した。また、酸性の凝灰岩や溶結凝灰岩などの堆積も引きつづきおこなわれていた。

 猿丸層の堆積からおよそ100万年前までの間には、猿丸地域で600m以上、浅川地域では800m以上の厚い堆積物が海岸付近で堆積したが、これはこの地域が大きく沈降していたことを示し、沈降運動と並行して新第三紀層の褶曲作用が進んでいた。現在みられる地質構造の骨格は、この時期までに完成した。

 約100万年前から70万年前にかけての時代の厚い堆積物は分布しない。この時期には、大峰面と呼ばれる侵食平坦面が形成された。地殻運動が静穏になり堆積物の供給が少なくなると、海岸平野を流れる蛇行河川による侵食が活発となり、新第三系を削って広域な侵食平坦面の平野がつくられた。この時期に河川が運んだ堆積物が、わずかであるがところどころに残されている。この時期の河川は、現在と大きく異なり長野盆地北部から高田平野方面へ流れていた。