(3) 土壌条件と水稲の収量

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 市域で、今までにもっとも水稲の栽培面積が多かった年は1955年(昭和30)で、5,880haに達した。

 このなかで、土壌条件に見あった肥培管理の目安をつけるために、長野県農業試験場がおこなった試験成績の一部を図3-18に示した。


図3-18 土壌の種類と水稲収量
(長野県農業試験場(1961)「施肥改善報告第3報」より作成)

 この場合の一般農家の肥培管理方法は、この図の三要素堆肥(たいひ)区に相当する。この四つの試験地は土壌条件が異なり、当然単収にも差がある。各試験地とも窒素を欠くといちじるしく減収するが、リン酸や加里を欠いてもほとんど減収していない。この試験から古里試験地がもっとも土壌肥沃(ひよく)度が高いと判断される。

 市域で過去に最高収量をあげた宮本正己や岡沢賢一の水田は、古里試験地の土壌にほぼ類似した特徴をもっている。