松代群発地震と湧水変化

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松代地震は1965年(昭和40)8月から群発的に発生し、地下水に大きな影響をあたえた。

 第三の活動期である1966年8月末ごろから、連発する地震による地殻の変動にともなって、松代町東条地区を中心に北西~南東の方向で帯状に全長約2kmの地域にわたって異常湧水の現象が発生した。この湧水発生箇所は大小併せて百数十ヵ所にもおよび、その水量も代表的なものだけでも80t/分以上にもおよんでいた。その湧水は塩化物イオンを多量に含み、二酸化炭素をともなって自噴しているのが特徴といわれている。湧水発生当初は塩分の量が少なく、農耕地への影響はとくに問題がなかった。しかし、1966年9月17日の牧内地区地すべり発生以後は、しだいに塩類の濃度を増し、農作物に大きな被害をあたえた。

 野口喜三雄は『更級埴科地方誌 自然編』のなかで、「松代群発地震と地下水の変化」についてつぎのようにまとめている。

1).松代町加賀井温泉の水、瀬関、牧内等の地割れから多量に湧出した水は、いずれも塩化物に富むが、Br-/Cl-比が海水の値と全く異なり、著しく硼酸に富み、多量の二酸化炭素を伴っている。

2).松代地震に際し、加賀井、瀬関、牧内、桐久保、中川区神社前、太陽通信、皆神山の太陽通信側の麓等に多量の水が湧出したが、これらの水は二酸化炭素、塩化物、硼酸などに富む水と、二酸化炭素を伴わない塩化物、硼酸などの少ない弱アルカリ性の水との二種に分類される。

3).塩分に富む水が湧出した場合、初期の水は水量ならびに塩化物、硼酸などが少なく、ほとんど通常の浅い地下水であるが、時の経過に従い急速に湧水量ならびに塩分含量が増大するが、末期においては塩分の少ない浅い水の方が相対的には減少し、その結果、水の塩分含量が末期に増大する。


図4-20 地震で生じた湧水の位置


図4-21 瀬関(中曾根喜一宅)の湧水の変化 (上掲2点野口喜三雄「松代群発地震と地下水の変化」による)