涌池

201 ~ 202

長野市街地から南西へ約15kmの犀川沿いの信更町安庭(やすにわ)からのぼった、虚空蔵(こくぞう)山(764m)山麓の標高580mに、ハート形をした涌池がある。

 1847年(弘化4)にM7.4の善光寺大地震で岩倉山が崩壊し、陥没地に涌池ができたといわれている。その後、松代藩によって池の水を飲料水と灌漑(かんがい)用水として利用するために西岸に堰堤(えんてい)を築いて水位を高めた。

 化学成分の濃度はかなり高く、とくに、SO42-は147.9mg/L、塩化物イオン(Cl-)は9.79mg/L、Ca2+は57.42mg/L、マグネシウムイオン(Mg2+)は2.01mg/L、ナトリウムイオン(Na+)は20.0mg/Lで、ほかの池沼よりきわめて高い。また電導度は564μS/cmもあり、電荷を帯びた化学成分の濃度は非常に高い。

 垂直分布によると、8月は深さ1~2mの間で水温差9.8℃、躍層ができている。pHは、表面が8.6、池底が7.5で、1~2m間が急激に変化している。

 溶存酸素は、表面はいちじるしく過飽和になっているが、深度とともにしだいに減少し、1.5m以深では、ぜんぜん含まれない。2~4mの無気層には9.4~15.9mg/Lの硫化水素H2Sが含まれている。


図4-52 涌池の深度図
(田中阿歌麿 1926『野尻湖の研究』による)


図4-53 涌池における水温・pH・硫化水素・溶存酸素の垂直分布(落合 1964「信州の湖沼」による)

 1960年(昭和35)11月23日に、落合が「水変わり現象」を観察した。この現象は秋季循環期に、下層の硫化水素層の水が表層の水と交換されて表面に出てきたためである。池の水が暗緑色から乳黄褐色に変わり、硫化水素臭がたち、水面に泡が吹きでて、魚類がたくさん死んで浮上した。


写真4-34 涌池