4 地震と温泉

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 温泉の湧出量や泉質が、地震の発生により急激に変化した例は多数報告されている。

 1965年(昭和40)8月から松代町を中心に発生した群発地震は、震源地皆神山の北部に位置している加賀井温泉の湧出量や泉質に大きな影響をおよぼした。野口喜三雄は調査結果をつぎのようにまとめている。

 加賀井温泉2号井は、1965年12月から翌1966年4月まで比較的大きな地震が起こると、塩化物が急激に減少し、地震がやむと再び増大している。また、地震によって泉温はしだいに上昇し、湧出量も増加している。塩化物量がアルカリ度や硼酸含量と並行して変化していることから、地震によって比較的温かい、塩化物や硼酸の含量が少ない温水が混入した結果である。


図4-61 加賀井温泉一陽館2号井における塩素、硼酸、アルカリ度、湧出量の変化 (野口喜三雄(1968)による)

 松代群発地震は震源がごく浅いため、場所を選べば2,000mも掘れば震源の岩石を直接調べることができそうである。そこで1969年(昭和44)松代荘の門を入った右の庭内で、ロータリー式コアボーリング(回転式採芯掘削)で1,934mの深さまで掘った。採れたコア(岩芯)には多数の鏡肌(岩がすれ合って鏡のようになった岩肌)が見られ、なかにはきわめて新鮮なものもあった。また、この地震では温度や成分のある大量の地下水が、とくに加賀井、瀬関、牧内を結ぶ線上に大量に湧出した。


図4-62 地震最盛期における加賀井温泉一陽館2号井の温度、塩化物並びに湧出量の変化 (1966.3.20~5.9)(野口喜三雄(1968)による)


写真4-52 松代群発地震で自噴した一陽館1号泉(1966年9月)

 これより前アメリカで、廃水を深井戸によって地下に圧入したところ群発地震が発生したことから、水が地震の原因だとする説が提唱されていたので、それとのかかわりが考えられ、今回掘削した深井戸に水を圧入して地震発生の有無を調べる実験がおこなわれた。

 第1回は1970年1,334m以深に三昼夜50kg/cm2の圧力をかけて水を注入したが、入った水は54tにとどまった。2回目は1,072m以下は保護管を抜いて裸孔(らこう)にして圧入したところ、13~15kg/cm2で12昼夜に2,848t注入できた。だが10ヵ所での地震観測の結果は、「大きな変化は認められない」「影響があったかにみられる程度である」などであった。

 温泉は孔内の200~400mの間と1,320m付近で湧出がみられ、いずれも塩化物イオンを1%程度含んでいた。この孔(あな)が表4-2のNo.13観測井であるが、水を圧入するさい、保護管を抜いたこともあって孔は浅くなっているようである。