(2) 不快指数

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 夏の蒸し暑さの体感をあらわす指数に不快指数がある。したがって不快指数は暑さの度合いを知るための目安であって、1959年(昭和34)にアメリカ気象局が暖房や冷房に必要な電力量を予測するために使いはじめ、日本でも1961年ごろから用いている。


表5-16 各地の平均不快日数(平年値の統計期間1961~90年) (『理科年表』1994年版)

 不快指数(DⅠ)を計算するにはいろいろな方法があるが、理科年表の不快指数は15時の気温T(℃)と、15時の相対湿度U(%)により、つぎの式で算出している。

 DⅠ=0.81+0.01U(0.99T-14.3)+46.3

 日本人の体感による表示をまとめると表5-17の体感表示Ⅰのようになる。報道関係が用いる体感表示は表示Ⅱの用語によることが多い。


表5-17 不快指数の体感表示

 各地の平均不快日数をみると、梅雨期になりうっとうしい天気がつづくようになると、不快指数は梅雨前線の北側でやや低いが南側では半数以上の人が不快を感じる75を超え、梅雨が明けて太平洋高気圧におおわれると、北海道の一部や山地、高冷地を除く大部分の地方で全員不快を訴える80を超える日数が多くなる。


写真5-15 前線の接近

 8月に不快指数80を超える各地の日数をみると、札幌は2日程度であるが、東京は18日程度、盆地の京都・甲府は23日・20日程度と多くなる。長野県下では軽井沢がなしで、なんといっても低く、諏訪も2.5日と少ない。松本8日、長野12日程度となるが、全国的にみれば高いとはいえない。

 1977年(昭和52)8月4日は、長野県下各地で「全員不快」の指数80以上となった。この日の各地の不快指数の最高は、長野83、松本・諏訪・飯田で81、軽井沢でも80に達した長野では10時から17時まで約7時間も80以上がつづきたいへん蒸し暑かった。原因は、優勢な太平洋高気圧から日本海の低気圧に向けて非常に湿った暖気の流入があったからである。


図5-39 長野市の不快指数の日変化の例 1977年8月4日の日変化

 1年を通じて一番快適なのは5月のところが多く、生活実感とも一致している。

 アメリカではこの不快指数が同じであっても、風通しのよいところでは不快感をおぼえることは少なくなることから不快指数という語意が適当でないとしている。

 たとえば、気温が30℃、湿度が75%のとき、風速が3mぐらいの弱い風でも不快指数は4ぐらい下がり、空調機で気温25℃、湿度75%にすると指数を8ほど低くすることになる。

 また、海抜700m以上の高原や山間地では、指数が80を超えて、すべての人が不快を感じることはごくまれである。


写真5-16 高原の秋
標高1,000mを超える飯綱高原では、年間を通して湿度は高く、霧も発生しやすいが、7月中旬以降は快晴の日が多く、さわやかな天候となる