霧にまつわる話として、川中島合戦における霧のことはよく知られているところである。武田勢と上杉勢の前後12年にわたる戦いのなかで、とくに1561年(永禄4)9月10日(現行暦10月28日)未明の信玄と謙信の一騎打ちを中心とした話は有名である。放射霧と蒸気霧(川霧)が濃く立ちこめる未明をねらって、上杉勢はひそやかに千曲川を渡って武田軍の陣地に攻めこんだという。これは夜陰に乗じた戦法というよりも、濃霧に隠れ、濃霧を利用した奇襲であったといえよう。江戸時代前期に書かれた『甲陽軍鑑』という本によれば、この日午前6時に始まった前半戦は謙信が勝ち、霧の消えた午前10時からの後半戦は信玄の勝ちといっている。いずれにしろ上杉勢は川中島に発生する秋の霧の性質を知って、うまく利用したものと思われる。
古来、川霧が深く立つので有名な千曲川の近くを、現在では上信越自動車道が通っている。走行中の車が濃霧に出会い突然視程の低下に遭遇したりする。このような視程障害にともなう交通事故の発生も懸念される。気象台では長野県北部(長野市も含まれる)または県全域を対象に濃霧注意報を発表している。1994~95年の2年間の発表回数を気象月報により月別に調べてみると、年による差異は大きいが、1994年11月の9回、12月の8回、1995年10月の7回などがあり、0回の月もある。(注意報が夕方から翌朝までつづくときは、2日間にわたっても1回と数えた)