1985年(昭和60)7月20日、太平洋の高気圧におおわれた長野市の気温は正午には30℃に達した。しかし、上空には気圧の谷の北日本通過にともなう強い寒気が流入した(輪島上空5,000mでは、-8.9℃、午前9時)。この影響で、長野県周辺の大気の状態はいちじるしく不安定な状態になっていた。
長野市付近では、15時ごろから強い雷が発生し、激しい雨とともに直径2~3cmの雹(ひょう)が降った。降ひょう域は、信州新町方面から長野市、牟礼村、信濃町と北々東に移っていった。とくに、牟礼村ではピンポン玉大のひょうが観測された。
雨の降り方も激しく、1時間の雨量も長野地方気象台で午後16時に24mm(総雨量58.5mm)を記録した。信更では43mm、七二会では38mmを観測するなど、長野市各地で1時間最大値が20mm以上のところが多く、市街地では総雨量が60mmを超えた。