天気のことわざからみた雷雲の経路 ――松代地区のことわざを中心として――

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 松代は、城下町として古くから栄え、天候は生活に影響をもつため、人々は観天望気については関心が強かったようである。

 そのなかには、旅立ちを心配する人々の心から生まれたであろうことわざがたくさんあった。「飯縄晴れ 保基谷の峰が曇るとも蓑傘(みのかさ)持たず旅立ちをせよ」など江戸時代の人びとの生活が伝わってくるようなことわざも残されている。

 採集できたことわざのなかで一番多かったのは雷雨に関するものであった。雷雨は極地的なものであり、降ひょう害や集中豪雨、また、干ばつ時の恵みの雨であるなど、生活と大変密着していたためだろうと考えられる。

 以下は松代地区に伝わる雷雲に関することわざで、雷雲の性質をよくあらわしている。

・大嵐(地名)が先に曇ってくると、大夕立になる。

・高遠山寄りの夕立は必ず松代にくる。

・西条から清野にかけてくる夕立は、必ず大夕立。

・聖(ひじり)(聖山)からくる夕立と隣のボタ餅は必ずくる

・屋代の方からくる夕立は必ず降り、ひどい。

 松代地区の南西方向から侵入してくる雷雲は、松代の上空で集中豪雨的な降雨をもたらすことを表現している。松代地区の南西に発達した雷雲は、偏西風に乗りながら千曲川に沿って善光寺平をくだり、中野市の方向に向かって進行する性質をよくつかんでいる。

・地蔵(地蔵峠)からくる夕立は、松代も夕立になる。

・地蔵峠方向の雲は夕立にならず、東の方へ。

・豊栄(とよさか)から降ってくると、今日の雨はいたずらだ。

・豊栄の方からくるときは、山の辺りだけで町へは案外少ない。

・保基谷や東条(ひがしじょう)の方の夕立は来てもあまり降らない。

 雷雲の進路は地形に左右されることを端的にあらわしており、地蔵峠から流れくだる関屋川の谷に沿って松代に侵入してくるコースを表現している。

 東条は松代町の東側に隣接する地区である。地蔵峠からくだってきた雷雲が偏西風などによりわずか東側に流されると、隣の東条に降雨はあっても松代にはわずかしか恵みの雨が降らないことに気づいている。これは、雷雲の雲底が4km~10kmときわめて小さなものであり、狭い地域にだけ降雨をもたらす雷雲の性質を端的に物語ってる。

 しかし、同じ方向から遠雷は聞こえてくるものの、峠の東側にある雷雲は、偏西風の影響や、標高の低い方へ降りていくという性質から、自分たちのところには絶対に来襲しないことを長い経験から獲得したこともわかる。

 松代地区に来ない夕立として、

・千曲川の北側の夕立は松代にはなかなかこない。

・茶臼山の方に出た入道雲は松代にはこない。

などがある。これらの夕立は、犀川沿いに進路を取ると考えられる。雷鳴は大きく聞こえ稲妻の光ははっきり見え、あたかも来襲してきそうなようすにみえ、雷に対する心構えをつくって来襲に備えていても、雷雨がほとんどないことを示している。茶臼山も、松代から見ると西の方向にあたり、犀川沿いにくだる雷雲のコースと整合していると考えられる。