長野市でオーロラを観測

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1958年(昭和33)2月11日夜、長野市でオーロラが見られた。その日の経過を、翌12日の『信濃毎日新聞』から要約してつぎに紹介する。

 「長野地方気象台は、11日午後7時45分ごろから午後8時10分ごろにかけてオーロラを観測し、気象庁に報告した。長野でオーロラが見えたのは同台開設以来初めてである。

 11日の午後7時50分ごろ、同気象台に長野市本郷の上野忠雄さんから『北の空に夕焼けの残りのような色が見える。端の方はうす黄色みをおびて動きはみられない』という電話があった。同気象台で観測したところ、真北の大峰山の尾根沿いに仰角(ぎょうかく)約5度、視角30度から40度の広さで、山火事かと思われるような弧状の赤みを帯びただいだい色の光の広がりが見えた。午後8時ごろがもっとも明るく、その後は明と暗を繰りかえしながら、午後10時10分ごろ消えたという。

 日本では珍しく大規模なもので、観測された地点は北海道、東北、新潟、宇都宮、長野などであった。このような広い範囲で南の方まで明るいオーロラは、いままでに最大のものである。当日はまた、世界各地で磁気嵐による通信障害が起きている。」

 この記録的なオーロラを信濃毎日新聞社のカメラが撮影したが(写真5-31、および口絵写真)、低地磁気緯度のオーロラ写真としては世界的にも珍しく、貴重な資料である。


写真5-31 1958年2月12日付『信濃毎日新聞』

 オーロラは、太陽からの電気を帯びた高速の粒子(おもに電子や陽子など)が、地球の磁力線に沿ってきて極地方の大気の上層に飛びこみ、大気中の原子や分子と激しく衝突して発光させる現象である。

 1958年は太陽黒点の極大期にあたり、2月11日には肉眼でも認められる大黒点があるなど、太陽活動が活発であった。したがって、かなり強い太陽風(太陽が放出する高速の電子や陽子の流れ)があり、それが原因で大型の磁気嵐がおこり、オーロラを出現させたと考えられる。このときのオーロラは「低緯度オーロラ」と呼ばれ、赤一色で幕のように広がるもので、太陽活動が盛んなときには低緯度の地でもまれに見られる。日本でも古くは日本書記のなかに、(620年12月1日)「天に赤き気あり。長さ一丈余。形雉(きじ)尾に似たり」というオーロラの記述が見られる。