内陸盆地の特有なきびしい冬を越し、リンゴの花が咲く4月、5月のころは、長野市中が花と新緑で埋まる、一年でもっとも美しい季節である。
リンゴはカイドウやズミなどとリンゴ属にまとめられ、ズミとエゾノコリンゴ、オオウラジロノキの3種が長野市周辺にも野生する。ズミはコナシとも呼び、リンゴを接ぐ台木に使われた。上高地の小梨平は、かつて台木の苗畑だったといわれている。カイドウのなかまはいずれも中国原産で、庭や公園に植えられてきれいな花や実をつける。
リンゴは、セイヨウリンゴとワリンゴ(ジリンゴ)に分けられる。いずれも古くから栽培されてきたが、セイヨウ(西洋)リンゴの原種はヨーロッパから西アジア、ワ(和)リンゴまたはジ(地)リンゴは中国が原産地と考えられている。
現在、世界中で広く栽培されているセイヨウリンゴは、4,000年以上の歴史をもつ果実の代表で、知恵・不死・豊じょう・美愛などのシンボルとして神話や伝説に数多く登場した。世界一の生産国は19世紀末まではイギリスであったが、約350年前にアメリカへ導入され、19世紀の後半から品種改良や栽培法の改善によって現在では質、量ともにアメリカが大産地となっている。
日本でのリンゴ栽培の歴史は浅く、本格的には明治の開国とともに広まった。それまでは、中国からのワリンゴであって平安か鎌倉時代以後のことである。それでも、貝原益軒(えきけん)の『大和本草(やまとほんぞう)』(1709)や小野蘭山(らんざん)の『本草綱目啓蒙』(1803)には、リンゴの産地としてすでに信濃をあげているという(長野県)。明治初年の物産高を記録した『長野県町村誌』にある吉田村(現長野市)の「林檎四十六貫五百目 其質上等自用ニ供ス」は、年代からみてワリンゴだと考えられる。
明治政府は果樹栽培をすすめ、1874年(明治7)以後、各県へアメリカから輸入したリンゴの苗木を配って試験栽培を開始した。これが信州リンゴの始まりであり、現在の長野市では、真島、共和、川柳(せんりゅう)、三輪、往生地、浅川等々の先覚者たちの努力によっている。しかも、リンゴの適地は年平均気温が7~12C°、夏季の気温18~24C°、年間降水量600mmぐらいという自然条件にもあっていた。生産高は、青森県についで第2位をずっと保っている。
これまで、日本に導入された品種は600以上にもおよぶが、主な栽培種は国内で改良された品種を加えても十余種類にすぎない(392ページ参照)。栽培技術のいっそうの革新とともに、いつまでも、リンゴの花でおおわれたふるさと長野市の発展が期待される。