(2) 暖かさを恵んだワタ栽培

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 ワタ(綿、アオイ科)の栽培は、長いことシナ皮やコウゾ、クズなどの樹皮繊維やカラムシ、アサの繊維にたよってきた庶民にとって、着心地のよい衣類の原料であるとともに綿入れの暖かさは生活の大革命であった。日本でワタ栽培が定着しはじめたのは、戦国時代の16世紀以後のことである。

 もともとワタは、熱帯地方のものだからかなりの高温と日照が必要で、生育のはじめは湿っているが開花後は乾燥する気候と砂質土壌が適している。瀬戸内や内陸気候の山梨、奈良の盆地が大産地となり、北限に近い長野盆地にも広まった。5月に麦のあいだに種まきをしているから、春の乾燥と気温の低下を避けたものだろう。


写真6-156 ワタの花

 『長野県町村誌』によると、収穫したワタは、たとえば高田村(現長野市)では2,300貫の収穫量のうち、4割は自家用で6割は販売されていた。吉田や柳原などの記録では、販売先が越後となっている。

 1896年(明治29)、綿花の輸入税が撤廃されてから外国産が多量に入り、じきにワタ栽培の時代を閉じた。あとは、家庭用にほそぼそとつくられていただけである。


図6-27 ワタとアイの生産高(『長野県町村誌』(1936)により明治初年の資料を昭和11年当時の町村別に算出)