(1) 薬用と食用のアンズ

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中国原産のアンズ(杏、バラ科)は、かなり古い時代に種子(杏仁(きょうにん))を薬用とするために日本へ渡来していた。昔から加良毛毛(からもも)といい、アンズと呼ぶのは江戸時代以後である。平安時代の文献に、すでに杏仁を信濃から朝廷へ献上した記録があるという。杏仁とは種子を乾燥したもので、漢方では咳(せき)をしずめ、痰(たん)を取る重要な生薬(しょうやく)である。

 松代藩では、18世紀の後半から、現在の更埴市をはじめ石川村(現篠ノ井)や久保寺村(現安茂里)などにアンズの苗木を配付し、幕末のころには杏仁が藩の特産物となっていた。松代藩主の夫人が伊予(いよ)(愛媛県)の宇和島藩から嫁入りしたさい、故郷の春を忘れないよう移し植えたとか、善光寺の鐘が聞こえる地域に実るといわれるように、松代藩の勧業政策が適地適作となって今日の産地につながっている。

 アンズの果肉はアンズ干しをはじめ、主にシロップ漬け、ジャム、製菓原料などに加工され、早くから善光寺みやげとしても人気があった。寒さに強く、北海道でも栽培されるが長野県がもっとも多い。

 安茂里地区でのアンズ畑は住宅地などに開発されて減ってしまったが、松代町東条地区の昭和30年ごろに植栽した約30haの集団地が見事な花をつけている。


写真6-157 アンズの花に埋めつくされた松代町東条地区


写真6-158 黄色に熟れたアンズの実