真田邸は、1862年(文久2)参勤交代の緩和により、9代藩主真田幸教(ゆきのり)の母お貞の方の帰国後の住居として建てられた。建築は1863年から1864年(元治元)にかけておこなわれ、藩主幸教が新御殿と名付けた。明治維新後は真田家の私邸となり、1966年(昭和41)に松代町へ寄付されている。
藩主幸教がみずから描いた庭の絵があり、設計者は本人に違いない。
池を中心とした書院式の回遊式池泉庭園で、幸教により「水心秋月亭(すいしんしゅうげつてい)」と名づけられた。
池は心字池(しんじいけ)であり、建物と池のあいだの空間が広くとられ、芝を張り、中央のほぼ正面に滝組石がある。また、池尻からは曲水的に流れを配した手法がとられ、どこから見ても美しい。
なお、本庭園は昭和30年代にはかなり荒廃していたが、1966年(昭和41)に長野市により復元され現在にいたっている(松代藩文化施設管理事務所要覧による)。