エノキタケ栽培史
京都でも300年前に、カキの木やエノキ、ケヤキ、クワなどのほだ木を土中に埋めてキノコを栽培した記録が残されている。これは今のエノキタケ(古名ナメススキ)で、当初はナメコ、ナメタケと呼ばれていたが東北産のナメコと混同しやすいので榎茸(えのきたけ)に名を変えている。昭和初年に人工栽培が雑誌で公表されたが、そのころ旧屋代中学(現屋代高等学校)では長谷川五作によって理科教材にエノキ茸が使われていた。
写真6-245 古くから行われているシイタケのホダ木栽培