[口絵]

 
題字揮毫  長野県書道協会理事・審査員
鵜野廣夫
(雅号)竹魚

北東の上空から望む長野盆地
 川中島合戦の舞台に近い千曲川・犀川の合流点付近 (平成7年9月撮影)


小田切小野平出土の細石刃核(西山和之蔵 旧石器時代)
 昭和54年(1979)に畑で発見された市内唯一の細石刃核


松ノ木田遺跡出土の玦状耳飾り(浅川東条 縄文時代)
 長野市埋蔵文化財センター提供


水内坐一元神社遺跡出土の木製楯
(柳原小島 弥生時代) 長野市埋蔵文化財センター提供


松ノ木田遺跡の発掘風景(浅川東条 縄文時代)
 縄文時代前期の集落跡で、多くの住居跡とともに大量の石製装身具類が出土している
長野市埋蔵文化財センター提供


篠ノ井遺跡群出土の箱清水式土器(篠ノ井塩崎 弥生時代)
 弥生時代後期に北信を中心に使用された赤く塗られた土器群
長野県埋蔵文化財センター提供


和田東山3号古墳の竪穴式石室(若穂保科 古墳時代)
 写真中央に鏡や管玉が、奥に鉄斧やヤリガンナ、砥石が、手前に鉄製の武器が副葬されている。市内では数少ない副葬品の位置がわかる古墳である
明治大学考古学博物館提供


伝川柳将軍塚古墳出土の鏡(篠ノ井石川 布制神社蔵 古墳時代)
 左上が前漢の異体字日月銘内行花文鏡、残り5枚が国産小型鏡
 川柳将軍塚古墳出土と伝えられる鏡群


大室168号古墳の石室(松代町大室 古墳時代)
 大室の積石塚古墳群のなかで最古の5世紀代のもの
明治大学考古学博物館提供


篠ノ井遺跡群出土の塼仏(篠ノ井塩崎)
 蓮の上に座した如来像を型取っており、2点とも同じ型から作られたとみられる。出土地点には寺院の跡などはなく、集落遺跡から出土している
長野市埋蔵文化財センター提供


屋代遺跡群出土の木簡(更埴市屋代 奈良時代)
長野県埋蔵文化財センター提供
 中(15号)
  信濃国司が「更科郡司等」にたいして命じた国符木簡
 左(114号)
  埴科郡司が[屋代郷長里正等]に祭祀用物や人夫の調達を命じた郡符木簡
 右(1号)
  上端は欠損し全体に破損がいちじるしく文意不明の木簡。屋代木簡中の最下層の土層から出土


銅造観音菩薩立像
 (若槻吉 山千寺丸山茂ほか4氏蔵 白鳳時代 重要文化財)
 口もとの微笑、衣文の形などに飛鳥仏の面影を残す


木造阿弥陀如来坐像(若穂綿内蓮台寺蔵 平安末~鎌倉時代 重要文化財)
平安末から鎌倉時代にかかる新旧両様の手法を見せる像で彫刻史上注目されている


木造千手観音菩薩立像(松代町西条清水寺蔵 平安時代中期 重要文化財)
 県下の木造彫刻のなかでも最古級のもの


一遍上人絵伝(清浄光寺・歓喜光寺蔵 鎌倉時代 国宝)
 13世紀末、聖戒作。一遍聖絵ともいう。一遍上人の善光寺参詣の場面。善光寺伽藍の景観が詳しく描かれていて、中世善光寺伽藍を探るうえでもっとも貴重な資料


親鸞上人像(松代 本誓寺蔵)
 親鸞35歳の姿を描く。鎌倉時代より少しあとの時期の作品とみられる


不動明王坐像(芋井入山 鈴木久雄蔵)
 文治3年(1187)の陽刻銘がある。高さ7.6センチメートル。修験者が背負う笈に本尊として収めたと思われる希少な遺品


大文字一揆の旗
 (大日方英雄旧蔵) 長野県立歴史館提供
 大文字一揆の旗として伝えられてきたもの
 上は修復前、左は修復後


「金剛界儀軌」巻上奥書(石川県小松市 那谷寺蔵)
 加賀国湯泉寺(石川県加賀市の温泉寺)で学んだ僧某が信州清瀧寺(松代清滝観音か)で書写したもの


栗田文書(善光寺大本願蔵)
 武田信玄が永禄11年(1568)栗田鶴寿にあたえた甲斐善光寺条規


塩崎城見山砦の主郭部(篠ノ井塩崎 16世紀)
 尾根頂部の主郭を中心に、周囲に曲輪がめぐり背後を堀切りで遮断した小規模城郭。発掘では、主郭から掘立柱建物跡、門跡、土坑と多くの鉄釘、つぶてが見つかった
長野県埋蔵文化財センター提供


舎利塔
 (山形県米沢市 法音寺蔵)
 上杉謙信が善光寺から持ちだしたものと伝える


川中島合戦図屏風(「紀州本川中島合戦図屏風」和歌山県立博物館蔵)
 上杉方の荷駄隊を塩崎の百姓らが襲う場面


武田晴信書状(長野市立博物館蔵)
 小川・柏鉢より鬼無里・鳥屋への路次を絵図に描いて持参するよう、長坂筑後守らに命じている


鉄砲相伝書(七二会 守田神社蔵)
 鉄砲の撃ち方、構え、火薬調合などの方法を記した文禄3年(1594)の相伝書


石造宝篋印塔
 (若穂川田 南北朝時代 長野市指定文化財)
 北信地方を代表する大型の宝篋印塔


石幢(通称笠仏 松代町東条 鎌倉時代 長野市指定文化財)
 顕教四仏を配した重厚な古塔


嘉暦元年(1326)の板碑(中御所 観音寺蔵)
 最小クラスの緑泥片岩製の武蔵型板碑