口絵
刊行のことば 長野市長 塚田佐
緒言
例言
第一編 原始・古代…一
序章 長野市の自然と遺跡…三
一 歴史の舞台としての長野市の自然…四
長野市の位置と面積 周辺合併により拡大した長野市 長野市の気候
二 三地域に分かれる地形…六
西部山地 東部山地 長野盆地 独自性を保つ盆地
三 長野市域の地形と遺跡立地…一〇
高原と丘陵地形 河岸段丘 犀川扇状地 裾花川扇状地 浅川扇状地 河東の扇状地 千曲川低地 自然堤防
四 長野盆地の遺跡…一八
長野盆地南部の遺跡 松代地域の遺跡 犀川水系の遺跡 若穂・須坂地域の遺跡 浅川扇状地と周辺の遺跡
五 遺跡にみる災害の歴史…二六
六 すすんだ開発と自然環境の変化…二九
第一章 長野盆地の黎明…三一
第一節 高原と山地の旧石器文化…三二
一 旧石器時代の長野盆地…三二
人類の歴史の始まり 長野盆地の旧石器時代遺跡 氷河時代の気候と動物相
二 飯綱高原の狩人…三七
上ゲ屋遺跡の調査 生活の道具 ムラの生活 旧石器人の地域交流
三 東アジアの細石器文化…四三
二万年前の世界 三つの細石器 北と南の文化
四 神子柴型石斧の登場…五三
磨製石斧の使用
五 有舌尖頭器を用いた人びと…五五
三つの有舌尖頭器
第二節 長野盆地の縄文文化…五七
一 土器と弓矢の出現…五七
列島化した自然 洞窟・岩陰遺跡 煮沸具としての土器
二 尖底土器を用いた人びと…六〇
押型文土器 狩猟採集の生活
三 低地に進出した人びと…六三
自然環境の変化 古環境の復元 集落の形成と展開 縄文的生活の定着
四 扇状地・段丘上のムラ…七四
生活の舞台 縄文土器の多様な器形の出現と展開 身体を飾った縄文人 生業形態の変化 ヒトとモノの交流
五 遺跡の立地類型と拠点的集落…九五
立地環境 遺跡の立地類型と特性
六 河川流域に定住した人びと…九九
縄文人の低湿地への進出 明らかにされた縄文人とその生活 千曲川のサケ・マス漁 縄文から弥生へ
第二章 科野国への動き…一〇九
第一節 農耕文化の歩み…一一〇
一 弥生文化の導入…一一〇
弥生文化の形成 長野の地への稲作導入 稲作関係石器の登場 根強い縄文伝統 篠ノ井・塩崎遺跡のムラと墓
二 農耕社会の確立…一二四
栗林式土器成立の経緯 本格的な水稲耕作 米以外の食糧 石の道具から鉄の道具へ まつりの道具 松原集落の盛衰 集落どうしのつながり
三 赤い土器のクニ…一四四
箱清水式土器の発見 環濠集落と社会の緊張 銅鐸と武器形祭器 周溝墓と副葬品 母なる川に沿って広がるムラムラ 赤い土器の終焉と古墳時代への胎動
第二節 科野の国のなりたち…一六〇
一 古墳の出現…一六〇
古墳と古墳時代 土器の移動現象と地域再編 遠来の土器と長野盆地 前方後方墳の世界
二 川柳将軍塚古墳の時代…一七三
川柳将軍塚古墳の築造 地域王権の確立 地域王権の変容 祭祀域の形成 自然堤防上に展開するムラ
三 地域をかためた中小豪族と人びとの生活…一九二
中小豪族の台頭 塩崎・石川沖積地の古墳 川中島扇状地の古墳 裾花川・浅川扇状地の古墳 松代・若穂の沖積地の古墳 前方後円墳の終焉 人びとの生活 須恵器の使用と生産 生産地と農具 農耕祭祀と水神祭祀
四 積石塚古墳と合掌形石室…二一二
名称と分布 大室古墳群の発掘調査 積石塚古墳と合掌形石室 積石塚の系統 大室における積石塚の推移
五 群集墳と古墳の終末…二三二
群集する小規模古墳 横穴式石室のひろがり 群集墳に葬られた人びと 散在する小さなムラ 古墳が消えるとき
第三節 シナノのクニから科野国へ …二五一
一 ヤマト王権の東国進出とシナノのクニ…二五一
地域呼称「シナノ」の由来と用字 耶馬台国とその所在地 ヤマト王権の成立と「シナノのクニ」 記紀伝承に見えるヤマト王権の東方進出と「シナノ」 ヤマトタケル伝承と「古東山道」・「越への河の道」
二 科野国造と善光寺平の豪族・部民…二六四
ヤマト王権の地方支配の構造 科野国造氏と金刺舎人氏・他田舎人氏 善光寺平の部民 屋代遺跡群出土木簡と善光寺平の部民 善光寺平と屯倉の設置 武烈紀の「信濃国の男丁」 『伊呂波字類抄』の「善光寺」縁起と若麻績氏
三 律令国家の形成と科野国…二八八
ヤマト王権の動揺と東アジア情勢の変化 推古朝の政治と科野 朝鮮半島諸国の政治改革と「大化改新」 「大化改新の詔」と「東国国司」の派遣 孝徳朝の立評と科野国 阿倍比羅夫の蝦夷討征と科野 白村江敗戦後の政策と屋代遺跡群出土「乙丑年」木簡 壬申の乱と科野の兵 天武・持統朝と科野
第三章 律令制下の北信濃…三一一
第一節 新しい地方支配のしくみ…三一二
一 律令国家の行政・軍事制度のしくみと信濃国…三一二
中央行政のしくみ 地方行政のしくみ 信濃国内の行政組織とその変遷 公式令符式と国符・郡符 屋代木簡中の国符・郡符 地方行政と論語木簡・九九木簡 中央の軍制 地方の軍制 衛士と防人
二 律令国家の財政のしくみ・農民の負担と信濃国…三三二
財政基盤と農民の負担 戸籍・計帳と班田収授制 信濃国内におかれた封戸
第二節 地域としての北信濃…三五一
一 出土資料からみた北信濃…三五一
善光寺平の古代の歴史的環境 屋代木簡と古代の行政 古代信濃の行政地名 長野市域の出土文字資料
二 北信濃の牧…三六八
科野の牧の始まり 律令制成立期の牧の経営 中央・地方の牧官司と馬の用途 長屋王家木簡にみえる信濃の牧史料 内廐寮・御牧の出現と信濃国牧主当 牧の官司と地方牧の変遷 御牧の経営と課欠の発生 課欠駒対策と信濃の牧 信濃の御牧と北信濃の牧
三 北信濃の交通…三八一
東山道と古代の交通路 信濃の東山道 善光寺平の駅路と伝路 道と条里遺構
第三節 古代の神と仏…三九一
一 東アジアにおける信濃の仏教文化…三九一
仏教伝来 小金銅仏の分布 白鳳時代の寺院
二 国分寺の造営…四〇一
信濃国分寺の造営 千曲川流域の古代寺院 郡家と廃寺
三 平安時代初期の神と仏…四〇九
国分寺と信濃の定額寺 信濃の神 神階叙位と神仏の習合 集落における仏教信仰
四 観音信仰と埋納経思想…四一八
北信濃の観音像 古代における観音信仰 観音霊場と経塚
第四節 古代から中世へ…四二七
一 考古学からみた古代のムラ…四二七
古代のムラの移りかわり 掘りだされた古代のムラ 特殊な出土遺物 ムラ人の生活様式の変化 手工業生産の展開 ムラの近くにつくられた墓
二 善光寺平の条里…四四四
条里とは 条里的遺構と水田遺跡 旧長野市街地の条里的遺構 条里的遺構のプランとその起源 条里的開発と地域の再編成
三 古代から中世への社会変動…四六一
東国の変動と北信濃 再開発の進展と新興有力者の台頭 信濃の初期荘園 王朝国家の成立 院政と荘園公領制
第二編 中世…四七五
第一章 北信濃の鎌倉時代…四七七
第一節 源平争乱と北信濃…四七八
一 北信濃における源氏と平氏…四七八
流人から在地領主へ 井上郷、若槻荘などと源氏 笠原牧、東条荘などと平氏 平維綱と平正弘 保元・平治の乱
二 木曾義仲の旗揚げと北信濃の武士…四九五
挙兵から横田河原合戦まで 横田河原合戦の虚実 京への進撃と没落
三 善光寺と戸隠の動向…五〇五
古代末期の善光寺 善光寺信仰の発展 北信濃の山岳霊場 宗教領主としての戸隠
第二節 善光寺信仰の発展と諸宗派…五一八
一 鎌倉幕府と善光寺…五一八
頼朝による善光寺再建 北条氏と善光寺信仰 地頭・御家人と善光寺信仰 善光寺の寺内組織
二 善光寺信仰の展開…五二八
「善光寺縁起」と女人救済 新善光寺の成立とその性格 残存する善光寺仏とその問題点 「善光寺聖」の多彩な活動 主な参詣者とそのルート
三 新しい仏教の進出…五四五
遊行上人と信濃 無関普門と規菴祖円 律宗の拠点としての太田荘 旧仏教系寺院の動向
四 山岳信仰と神社…五六一
戸隠顕光寺の組織と諸活動 古代官社の変質
第三節 北信濃の社会と生活…五六八
一 北信濃の荘園と御厨…五六八
山間地における荘園の発達 千曲川流域の御厨と荘園 富部・布施御厨の痕跡 高田・市村郷から市村高田荘へ 四宮荘の実像
二 北信濃の公領と地頭…五九二
善光寺平の公領 善光寺平の地頭御家人
三 門前や宿の繁栄と職人…六〇一
鎌倉街道と善光寺 宿と渡しの発達 善光寺の門前 鎌倉時代の善光寺仏師
第二章 北信濃の南北朝内乱…六一七
第一節 得宗の進出と幕府の滅亡…六一八
一 北条氏の北信濃進出と御家人の衰退…六一八
四人の善光寺奉行人 善光寺奉行人の停止 北条氏の善光寺平への進出 得宗被官の進出
二 転換期を迎えた武家社会…六三五
御家人の困窮・疲弊 親族結合の変化 若槻氏の変化と所領 鎌倉攻めをめぐる庶子と惣領家
第二節 建武の新政と南北朝の内乱…六四八
一 建武新政下の北信濃…六四八
新政府の成立と混乱 「中先代の乱」と北信濃 尊氏の離叛と新政府の瓦解
二 南北朝内乱期の北信濃…六六三
室町幕府の創設 島津氏にみる領主制支配 「観応の擾乱」と北信濃の情勢 宗良親王の信濃入国 親王の挙兵と守護小笠原長基
第三章 北信濃をめぐる守護と国人領主…六八五
第一節 守護支配の展開と大塔合戦…六八六
一 鎌倉府管轄下の北信濃…六八六
守護上杉朝房と南朝勢力との角逐 守護斯波氏の入部と北信濃 守護所の移動と善光寺
二 大塔合戦と北信濃…七〇一
守護小笠原長秀の入部 合戦の発端 合戦の経緯 市域武士の動静
第二節 関東の争乱と北信濃…七一九
一 守護支配の進展と北信濃…七一九
幕府料国下の北信濃 小笠原政康の復権 守護小笠原政康の信濃支配 鎌倉府の紛擾と市域の武士
二 守護支配の衰退と北信濃…七三四
守護家小笠原氏の内紛 後退する守護支配と北信濃 北信濃の国人領主支配
第三節 室町時代の郷村と国人…七四八
一 北信濃の国人層と京都・北陸…七四八
太田荘領家年貢をめぐる紛争 国人島津氏の反抗と嘉慶の乱 応永の平和と市村高田荘の年貢納入
二 北信濃の郷村と国人・侍衆…七五七
守護被官となる侍衆と新しい郷村 守護領の変質と新興国人 高梨氏と六ヶ郷用水
三 国人領の村々…七七一
信濃文正の変と香坂・小田切氏の高梨領進出 善光寺平での応仁・文明の乱 消滅した中世の郷や村
四 室町文化の行きかう村と町…七八二
連歌師宗祇・宗長と善光寺平 僧堯恵の善光寺参詣 善光寺の朝鮮貿易 下総・長沼・京都を結ぶ真宗寺院 伊勢御師が訪ねる村・町
第四節 中世後期における仏教の展開…八〇〇
一 善光寺と善光寺信仰…八〇〇
門前町の形成と朝鮮遣使 たび重なる火災と再建 三井寺支配の終焉と本願尼の登場 新たな縁起の編さん 戦国武将と善光寺如来
二 禅宗の浸透と浄土系諸宗の発展…八二〇
此山妙在と性海霊見 大安寺と曹洞宗の進出 善光寺妻戸衆と時宗寺院 浄土宗の動向 真宗と「本尊裏書」
三 回国聖と地域霊場…八四三
六部と頼朝回国伝承 さまざまな山岳信仰 皆神山と在地修験
第四章 北信濃の戦国時代…八五三
第一節 川中島の合戦…八五四
一 武田軍の北上と北信の諸将…八五四
高梨氏の勢力拡大 武田の侵攻と村上義清 葛尾城自落 最初の川中島の合戦
二 八幡原の激突…八六五
二百日間の長陣 葛山城の落城 信越国境の戦い 永禄四年八幡原の激突 『甲陽軍鑑』が記す川中島の合戦
三 武田・上杉の同盟と平和の到来…八八四
飯山口の攻防戦 永禄七年の川中島出兵 御館の乱と越甲同盟 真田氏の台頭
第二節 武田領国下の北信濃…八九七
一 武田家臣と軍役…八九七
武田か上杉か 恩賞要求と宛行 歩兵中心の軍役 装備の統一・人数の加増 軍役の強化
二 海津城と北信支配…九一二
海津城主春日虎綱 郡司としての海津城主 牧野島城と在城衆 長沼城と郡司 武田氏の直轄領
第三節 上杉氏の川中島四郡支配…九二五
一 一揆蜂起す…九二五
武田氏滅亡 森長可の入部 一揆蜂起す 長可逃げる
二 上杉氏の侵入…九三六
諸将の服属 四つの城と城主・郡司 須田満親の海津入城
三 豊臣政権下の北信…九四五
上杉・真田同盟 上洛と朝鮮出兵 定納員数目録のなかの信州衆 文禄四年の太閤検地 国替えと領地の引き渡し
第四節 戦乱のなかの村…九六六
一 幕張りの杉…九六六
荒廃する村 造宮銭の強制と抵抗 欠落と人返し 幕張りの杉の伝承
二 村の貫高と石高…九七八
郷と上司貫高 上司貫高から定納高へ 太閤検地帳の石高 検地帳からみた下・中氷鉋村 郷村の代官
三 戦国時代の終焉…九九七
第五章 古代・中世の文化財…一〇〇三
第一節 建築…一〇〇四
一 中世の建築…一〇〇四
県下と市域の中世建築物 中世の社寺建築 信州の中世の建築の実例 中世の建築の特徴 仏寺建築の変化 神社建築 長野市の室町時代の神社 中世の信州神社建築の特徴
二 長野市の室町時代の建築物…一〇二三
葛山落合神社本殿 葛山落合神社境内社の諏訪社社殿 浅川西条の諏訪神社本殿 正覚院境内社の諏訪社
三 善光寺造営図…一〇三二
善光寺境内の建築設計図
四 中世の善光寺の建築…一〇四四
諸『絵図』から見た善光寺 中世伽藍と建物
第二節 美術工芸…一〇六〇
一 絵画…一〇六〇
二 彫刻…一〇六六
三 金工…一〇八五
四 漆工…一〇八八
五 陶磁…一〇八九
六 刀剣…一〇九〇
七 書跡・典籍…一〇九二
八 その他…一〇九五
第三節 石造文化財…一〇九八
一 長野市の中世石造物…一〇九八
信仰対象としての中世石造物 無数の造塔-五輪塔・宝篋印塔- 板碑-武蔵型板碑- 安山岩製板碑-善光寺平型の登場- その他の石造物-多層塔・石幢・石仏-
二 石塔の立つ風景-中世善光寺の景観…一一〇七
花岡平石塔群の調査 善光寺周辺の石塔群 石塔の立つ風景
第四節 中世の城館跡…一一一四
一 軍事(防御)施設としての城…一一一四
城とその時代 城への関心・地域の文化財 城の見方 長野市域の山城
二 考古資料からみた長野市の城郭…一一二一
発掘された山城 山城の発掘で明らかになったこと
三 考古資料からみた長野市の居館跡…一一二八
市域の館分布 変化する館 発掘された居館
付録(1) 中世史料に見られる新善光寺一覧…一一三五
付録(2) 中世の紀年銘を有する善光寺式如来像一覧…一一四二
あとがき
原始・古代・中世史専門部会部員・調査執筆員
執筆分担
監修者
刊行委員
編さん準備委員
編さん委員
調査協力員
事務局・編さん室職員