長野市は明治二十二年(一八八九)に四町一村が合併して長野町となり、明治三十年に市制を施行して県庁のある県内初の市となった。このときの市域の面積は九平方キロメートルで、人口は三万人にすぎなかった。その後大正十二年(一九二三)に、吉田町・三輪村・芹田(せりた)村・古牧村が編入合併し、戦後になって昭和二十九年には、朝陽・柳原・浅川・若槻(わかつき)・古里・長沼・安茂里(あもり)・小田切(おたぎり)・大豆島(まめじま)・芋井の一〇ヵ村が編入合併した。さらに、昭和四十一年(一九六六)には長野市・篠ノ井市・松代町・若穂町・川中島町・信更(しんこう)村・七二会(なにあい)村・更北(こうほく)村の二市三町三村が合併して、こんにちのような人口三六万人の大長野市となった。