犀川水系の遺跡

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犀川水系の遺跡に目を転ずると、小田切の小野平遺跡から一万三〇〇〇年前の船底形細石刃核(さいせきじんかく)が、裾花川流域の戸隠村荷取洞窟(にとろどうくつ)からは縄文草創期の隆起線文土器や石槍が出土し、縄文前期の信州新町お供平遺跡からは、姫川流域からもたらされた滑石(かっせき)でつくられた玦状(けつじょう)耳飾りが出土している。支流の土尻(どじり)川流域に入ると、縄文後期の中条村宮遺跡で、抜歯をともなう人骨を埋葬した石棺墓が発掘されている。縄文時代の土尻川流域は、姫川流域に産する磨製石斧の素材となる蛇紋岩、装飾品の材料となる滑石・翡翠(ひすい)を善光寺平に運んでくる重要な流通路であった。

 安茂里の平柴平遺跡では縄文後期の敷石住居、弥生中期の集落と古墳時代の方形周溝墓が出土した。この地域では最大の遺跡で、旭山の南斜面には鏡を出土する古墳や合掌形石室を有する古墳もある。

 なお、犀口の両岸には、善光寺平に出る水口をおさえるかのように左岸に馬神古墳、右岸に腰村一号古墳という二つの前方後円墳が立地している。