浅川扇状地と周辺の遺跡

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浅川方面の地域の旧石器時代の遺跡としては、飯綱高原に上ゲ屋遺跡や大池遺跡などがある。浅川の松ノ木田遺跡からは縄文前期の滑石製の玦状(けつじょう)耳飾りが出土した。豊野町の上浅野遺跡においては、縄文前期諸磯(もろいそ)b式期の集石六八基をもつ遺跡が発掘されている。弥生時代では檀田遺跡群から弥生後期の住居、円形周溝墓四基が発掘され、銅釧、鉄釧、ヒスイ製勾玉、ガラス製丸玉などの装飾品が発見された。若槻徳間の柳田遺跡で中期栗林期の住居、朝陽の十二遺跡で栗林・箱清水式土器が出土している。

 古墳時代では、地附山山頂に前方後方墳の地附山古墳、その山麓には合掌形石室や古式の須恵器を出土した古墳群がある。扇状地部には、長野高校敷地の本村東沖遺跡に古墳時代の集落遺跡があり、その上部には湯谷(ゆや)古墳群がある。また、若槻吉(よし)には大室古墳群につぐ規模の群集墳である吉古墳群がある。

 扇端部周辺では小島境遺跡において、浅川地籍にみられる緑色凝灰岩を材料にした古墳時代の玉づくり遺跡が発掘された。古墳では善光寺平では唯一沖積地に立地する全長四三メートルの前方後円墳の南向塚(なんこうづか)古墳が古牧上高田にある。古里地区には、全長四七メートルの前方後円墳の三才一号古墳がある。

 古里の駒沢新町遺跡は、浅川扇状地の扇端部の湧水地点で農耕の祭りをおこない、そこで使用した大量の土器を穴のなかに埋納した祭祀遺跡である。豊野町の石にある北土井遺跡は太田郷・太田荘の範囲内にある古代・中世遺跡で、木簡、箸(はし)、下駄、土錘(どすい)、鉄鏃(てつぞく)が出土している。この背後の山には能登半島産の珠洲(すず)焼を外容器にした鷲寺(わしでら)経塚が営まれている。