人類の歴史の始まり

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この地球に人類が登場したのは今から約四〇〇万年前、アフリカでの出来事であった。最初の人類はアウストラロピテクス(猿人(えんじん))とよばれている。樹上の生活に別れを告げ、地上に降り立ち、二足歩行をおこなうようになったかれらは、新しい世界に進出していった。かれらが道具を使っていたかどうかは現在までのところ不明である。最古の石器は、約二〇〇万年前ごろに登場する。旧石器(きゅうせっき)時代の始まりである。旧石器時代の狩猟採集民の時代は、その後、世界的に農耕や定住生活が始まるとされる約一万年前の新石器時代(日本では縄文(じょうもん)時代に相当する)が始まるまでつづく。そして一般的に旧石器時代は前期・中期・後期の三時期に区分される。それを人類の進化にあてはめると、前期旧石器時代が猿人と原人(げんじん)の時代、中期旧石器時代が旧人(きゅうじん)の時代、後期旧石器時代が新人(しんじん)の時代といわれてきた。人類は約七〇万年前ごろに、中国の北京(ぺきん)原人に代表される原人の段階へと進化してくる。アフリカで出現したと考えられる人類は、三〇〇万年以上の時間をかけてアジアまで拡散してきたのである。北京原人たちが活躍した時代は地質学上で更新世(こうしんせい)とよばれていて、氷河期(ひょうがき)であった。気候が冷涼(れいりょう)になり、磁極(じきょく)の氷が厚く発達すると、海水面が下がり、日本列島は、大陸と地続きになった。それを陸橋(りくきょう)という。日本列島の最古の住民は、おそらく大陸から、大型の動物などを追いながらこの陸橋を渡ってやってきたと考えられている。

 日本では旧石器時代のことを、まだ土器が発明される以前の時代であることから先(せん)土器時代、日本ではじめて発見された遺跡の名前をとって岩宿(いわじゅく)時代などとよんだりもしている。


表1 旧石器時代の年表

 六〇万年前から数万年前までの前・中期旧石器時代の遺跡数は全国的にみても少なく、長野県下でもまだ数遺跡しか発見されておらず、長野市域ではまだ発見されていない。

 約四万年前から三万年前にかけて、旧石器時代は世界的な転換期を迎える。それまでの、河原石の一部を打ち欠いて刃(は)をつけた石器を用いることから始まった石器の歴史は、打ち欠いた石のかけらに鋭い切れ味があることを知り、その石のかけらを大量に打ち割り、それをもとにしてさまざまな種類の石器を作るという新たな段階にすすむ。この時代を後期旧石器時代といい、人類が旧人から新人へと交代していった時代ともされている。薄い石のかけらを用いた石器は総称して剥片(はくへん)石器とよばれる。この剥片石器を用いた後期旧石器時代の人びとは日本列島の各地で活躍したようで、前・中期旧石器時代が数十万年間で約一〇〇遺跡あまりなのにたいし、後期旧石器時代には、三万数千年前から一万二〇〇〇年前の約二万年間に全国で四〇〇〇ヵ所以上の遺跡を残している。長野県の後期旧石器時代遺跡も三五〇ヵ所以上を数え、全国的にみても密集しているところである。