長野盆地の旧石器時代遺跡

34 ~ 36

長野市域の旧石器時代の遺跡は、今のところ一〇ヵ所ほどしか確認されていない。遺跡は東部山地、西部山地、飯綱高原といった、長野盆地の外縁部にあたる山間部や高原地帯に分布している。遺跡の時期は、飯綱高原の上ゲ屋(あげや)遺跡(芋井)の石器から判断すると、二万年前以降の時期がもっとも古いようで、以後縄文時代が始まる約一万二〇〇〇年前ごろまでの数千年間に形成されたようである。この時期は後期旧石器時代のなかでも後半期にあたり、長野県下でも遺跡が数多く残されるようになる。

 ただ、さらに古い遺跡はまだ発見されていない可能性が高い。旧石器時代の遺跡が分布しているのは、山間部や高原地帯であることは先にも述べた。畑でもあれば耕作によって地表が掘り返されることによって、地中深く埋(う)まっていた石器が地表面に出てくるために遺跡が発見されるが、山間部ではそれがむずかしい。しかし、さらに時代が古くなれば古くなるにつれ、地下深く石器は埋まっていて、なかなか地表面には出てこないため、切り通しの崖(がけ)面などで石器を発見しなければならないことにもなる。旧石器時代の遺跡は非常に発見されにくいといえるのである。

 また、旧石器時代遺跡が比較的集中している(集中していそうな)飯綱高原から飯綱山を越え北東一五キロメートルのところには、ナウマンゾウの化石が発見されることで有名な野尻(のじり)湖があることも、飯綱高原に未知の遺跡がある可能性をさししめす。野尻湖は、旧石器時代の遺跡の宝庫で、湖の周辺だけで約四〇ヵ所以上の遺跡がわかっている。古さも約四万年前からの遺跡が発見されている。平成五年(一九九三)から七年にかけて上信越自動車道の建設にともなって、かなり広範囲に発掘調査がおこなわれた結果、三万年前の遺跡が数多く発見され、その規模は全国的にみても群を抜いている。移動の生活を基本としていたとされる旧石器時代人のことであるから、すぐ近くに広がっていた飯綱高原地帯にも当然訪れたと考えられる。今後の調査によって、より古い石器が見つかる可能性は非常に高いといえよう。


図1 長野市域の旧石器時代遺跡分布図