氷河時代の気候と動物相

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長野盆地の外縁部一帯で旧石器時代の人びとが活躍した時代は、どのような自然環境だったのか。この時代は氷河期にあたり、現在よりも平均気温が数度低かったとされている。ただ氷河期といっても長い年月のあいだにはやや温暖な時期や、かなり寒冷な時期が繰りかえしあったとされている。地層にふくまれている植物の花粉の化石を調べることによって、それぞれの時代にどのような植物が生息(せいそく)していたかがわかる。野尻湖周辺ではボーリング調査により、詳細なデータが蓄積されている。その成果をみると、五万年前と二万年前ごろにいちじるしく寒冷な時期を迎え、そのあいだの四万年から三万年前ごろにやや温暖な時期を迎え、最終氷期の二万年前以降は縄文時代に向かって暖かくなってくる。

 気候、植生(しょくせい)に影響されて動物相も変化する。二万年前の最終氷期を境にナウマンゾウやオオツノシカなどの大型獣は絶滅もしくは激減し、中小の動物群が日本列島の主体となってくる。当時の人びともこの自然環境に適応しながら生活をしていった。

 三万年前ころの野尻湖周辺は、全国一といっても過言ではないほど遺跡が密集し、大量の遺物を出土している。それは氷河期のなかにあってもやや気候が温暖な時期にあたる。ところが二万年前のころの最寒冷期になると野尻湖の遺跡は激減する。これは野尻湖だけでなく、長野県、さらに中部高地に同様にみられる傾向である。いっぽう関東地方などの平野部にはこの時期の遺跡が数多くみられる。気候の悪化がかれらに大移動を余儀なくさせたのではないだろうか。

 最終氷期をすぎ、気候が温暖化に向かうと、標高の高い中部高地にもまた人びとの痕跡(こんせき)が刻まれるようになる。そして長野盆地も旧石器時代人の生活の舞台となってくるのである。後期旧石器時代後半期のことである。