上ゲ屋遺跡の調査

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上ゲ屋(あげや)遺跡は昭和三十五年(一九六〇)、長野県の旧石器時代研究の第一人者であった森嶋稔(もりしまみのる)によって発見された。昭和三十六年に第一次調査、四十七年に第二次調査がおこなわれた。また平成六年から八年にかけては、長野市誌編さん事業にともなう上ゲ屋遺跡の調査、上ゲ屋遺跡周辺の確認調査、飯綱高原の分布調査がおこなわれてきた。これらの調査により、上ゲ屋遺跡とその周辺の飯綱高原は、旧石器時代の狩人(かりうど)たちにとって主要な生活の舞台であったことが明らかになってきた。上ゲ屋遺跡の調査成果を中心に、旧石器時代の人びとがどのような生活をしていたのか探ってみよう。

 旧石器時代の遺跡を発掘すると、出土する遺物は石しかない。骨や木も使用していたに違いないが、ほとんどの場合は腐食(ふしょく)して残らない。それら石の遺物は、石器や石器づくりに関するものと、主に調理などに関係したと考えられている礫群(れきぐん)とよばれる焼けた河原石の集まりの二種類に分けられる。第一次調査の例を見てみよう。遺跡から発見された石器や石器作りに関係する遺物は全部で七〇八点、その内訳は、ナイフ形石器一三点、尖頭器(せんとうき)八点、掻器(そうき)二〇点、彫刻器(ちょうこくき)三八点、石刃(せきじん)四八点、削器(さっき)や不定形石器など二八点の計一五五点が石の道具である。残り約五五〇点は石器作りに関する遺物で、ナイフ形石器や尖頭器などをつくるために原石を打ち欠いたときに生じた剥片(はくへん)や砕片(さいへん)とよばれる薄い石片や、石片のもとの塊である石核であった。もちろん石を打ち割るための敲石(たたきいし)も出土した。つまり発掘資料はかれらの生活の道具と、それをつくったときに生じた残滓(ざんし)で構成されていたことになる。