同窟・岩陰遺跡

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千曲川流域の縄文遺跡のうち草創期では南佐久郡北相木村の栃原岩陰(とちはらいわかげ)遺跡、戸隠村の荷取洞窟(にとろどうくつ)遺跡、須坂市の石小屋洞穴など、森のなかの洞穴・岩陰遺跡が目立つ。長野県における洞窟・岩陰遺跡は五五ヵ所で、そのうちの四八ヵ所が千曲川流域にあり、全県の八七パーセントを占めている。これは千曲川水系の地質と関係している。新潟県南西部の焼山を北端とする富士火山帯と北海道西南部からの那須火山帯がこの地域、県域の東北信地区で接合するからである。富士火山帯は妙高山、飯綱山、八ヶ岳などの火山を連ねて伊豆諸島まで達している。これらの火山が噴出した岩石は輝石安山岩、角閃石(かくせんせき)安山岩、流紋岩が主体となり、八ヶ岳火山泥流を形成した。那須火山帯には草津白根山、四阿(あずまや)山、浅間山があり、鬼押出しに象徴されるように溶岩流が特色であり、角閃石安山岩が多い。

 白馬大池を北端とする焼岳、乗鞍岳(のりくらだけ)、御嶽山(おんたけさん)などの乗鞍火山帯は他の火山帯に比べて噴出物が少なく、しかも粘性の強い溶岩の噴出により成層火山や溶岩円頂丘となるため、河川の浸食により洞窟・岩陰をつくりやすい火山泥流などが少ない点、中南信地区にこれらの遺跡が少ないことの一因と考えられる。

 さらに、火山起源の岩石をみると、飯山の関田山脈や佐久下茂内(しももうち)の安山岩や、和田峠・麦草峠・霧ヶ峰など八ヶ岳周辺の流紋岩のなかにふくまれる黒曜石は、旧石器時代から縄文時代にかけて石器の材料に使用されている。また浅間山噴火の軽石は、縄文時代では漁網(ぎょもう)の浮子(うき)などに使用されるのである。

 さて、この時期の洞窟や岩陰を利用した住まいは、のちの竪穴(たてあな)住居にくらべれば住生活を営むには不安定であるが、この時期はイヌの家畜化も不十分な段階にあったことも考えると、いっぽうを岩肌でさえぎられた洞穴や岩陰は、オオカミ・クマなどの獣から身を守るには安全な住まいだったといえる。