長野盆地周辺のこの時期の遺跡をみると、戸隠村荷取洞窟からは縄文草創期の最古の縄文土器である隆起線文土器や石槍(いしやり)が出土し、上信県境の山岳部の須坂市石小屋洞穴遺跡にも土器の口縁下部に細い粘土紐(ひも)を貼(は)りつけた隆起線文土器が出土している。上高井郡高山村の湯倉洞窟遺跡からも隆起線文土器や人の爪(つめ)で器面全体に爪形の文様をつけた爪形文土器が出土している。
長野市内では、松代町大室(おおむろ)谷の中間部の宮ノ入遺跡から尖頭器や神子柴(みこしば)型石斧(せきふ)が出土し、谷の入り口部にある村東山手遺跡からは爪形文土器が発掘されている。
石小屋洞穴遺跡から出土した丸底の隆起線文土器は、炉(ろ)のなかで倒れないように底の部分に二個の石が添えられ、土器の外面には煤(すす)、内面にはこげつきがみられる。これら最古の縄文土器は、世界各地の最古の土器が貯蔵を目的につくられたのにたいして、もっぱら煮炊(にた)きに用いられたことがわかり、縄文土器の出現は現在までつづく日本料理の「煮る文化」の原点ともなった。
さらに、槍から石鏃(せきぞく)(石矢じり)への過渡期に投げ槍として出現する有舌(ゆうぜつ)尖頭器は、若穂保科の高岡遺跡や安茂里の平柴(ひらしば)遺跡から採取されているが、やがて飛び道具として矢の先につける石鏃が発明されて、狩猟に飛躍的な進歩をもたらすのである。
この時期の生業は植物採集より狩猟にウェイトがおかれ、石や骨角(こっかく)の槍でシカ・イノシシを中心にした動物が捕獲され、それを焼いたり、煮たりして食していたらしい。