群集する小規模古墳

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五世紀中ごろに出現した初期群集墳(ぐんしゅうふん)とよばれる密集した小規模な古墳は、長野盆地をみおろす山頂に築かれていた前方後円墳などの近接地に築造されていた。やがて六世紀も後半になると、爆発的と形容されるように古墳の数がふえ、これまで古墳が築かれなかった山すそや扇状地上、山間地の谷間などにも密集して築造されるようになる。長野市内に残っている古墳の大多数は、六世紀後半以降につくられた古墳であり、初期群集墳と区別して後期群集墳とよばれている。


写真33 鶴萩古墳 (篠ノ井塩崎長谷)

 たとえば、篠ノ井の塩崎や石川では、川柳将軍塚古墳をはじめ五世紀代までの古墳は山頂や尾根上に築かれていたが、鶴萩(つるはぎ)古墳や池ノ上(いけのうえ)古墳、丸山古墳群第四号古墳(篠ノ井石川、いずれも市指定史跡)などは低地に近い山すそに築造されている。地附山(じづきやま)には初期群集墳の上池ノ平古墳群(上松)が山頂部付近に位置し、山すそに駒形嶽(こまがたけ)東平古墳群が、山すそに近い扇状地上には湯谷(ゆや)東古墳群が展開している。三登(みと)山山麓(さんろく)は吉(よし)古墳群(若槻吉)をはじめ多くの後期群集墳が築造されている地域であり、平地部をのぞむ山すそに限らず、山間部の谷間にも上野(うわの)古墳群(若槻上野)などが築かれている。浅川西条上福岡の両袖型横穴式石室をもつ籠塚(こもりづか)古墳(市指定史跡)も山間部に立地している。松代や若穂の群集墳も山すそや扇状地、谷間に展開している。大室(おおむろ)古墳群も、約五〇〇基のうちの多くが尾根にはさまれた谷間などに密集する群集墳である。


写真34 池ノ上古墳 (篠ノ井石川)


写真35 籠塚古墳 (浅川西条上福岡)

 後期群集墳とは、六世紀を中心とした古墳時代後期というかぎられた時期に、限定された範囲で小規模な古墳が数基以上密集して築造され、一群となっているものをさす。個々の古墳は、直径一〇メートルから一五メートル前後の小規模な円墳が主体であり、長野盆地では積石塚(つみいしづか)状の墳丘をもつものが多い。古墳一基あたりの築造に必要な労働力は、前期の前方後円墳とはくらべることができないほど格段に小さくなっている。さらに埋葬施設は横穴式石室が主体で、ひとつの古墳に多葬や追葬がおこなわれる場合が多い。密集する古墳の数については、大室古墳群のように約五〇〇基にものぼる大規模な古墳群から、四、五基のものまでさまざまであり、古墳をつくった集団や築造された場所の地形的制約などにより格差があるものと考えられる。しかし、現在までのところ、長野盆地の群集墳では考古学的資料を詳細に分析し、群構造を解明した例はきわめて少ない。


図23 安茂里地区の古墳分布図
 1.岩下古墳 2.遠藤塚古墳 3.穂高山古墳 4.三合塚古墳 5.大黒山塚古墳 6.双子塚古墳
7.王塚古墳 8.弥勒寺古墳 9.きょう塚古墳 ▲は古墳の痕跡あるいは古墳の可能性が高い場所

 三登山山麓の若槻吉に展開する吉(よし)古墳群は約一〇〇基の群集墳であり、大室古墳群につぐ多さである。このうち四四基が積石塚古墳といわれている。昭和九年(一九三四)に栗岩英治が調査し、昭和三十四年(一九五九)から長野吉田高校地歴班を中心に一〇基の古墳が発掘調査されている。横穴式石室を埋葬主体とする後期から終末期にかけての古墳が多くを占めるが、板状の石材を組み合わせた箱式石棺や石棺状の合掌形(がっしょうがた)石室もある。分布調査によって地形の起伏を基準とした六~七単位支群の分類が可能であろう。

 安茂里の平柴(ひらしば)一帯は地形が複雑で、山間部と台地、河岸段丘の三地形いずれにも後期古墳が存在している。丘陵頂部や台地などの最高地点には、岩下古墳や穂高山古墳などの六世紀以前と考えられている古墳が立地し、これにたいして後期古墳は、その周辺やなだらかな斜面上につくられている。横穴式石室が開口している古墳には、王塚古墳、きょう塚古墳、大黒山塚(だいこくやまづか)古墳などがあり、さらに二基の横穴式石室が併設されている双子塚(ふたごづか)古墳や、L字形をした平面プランの横穴式石室をもつ弥勒寺(みろくじ)古墳などはめずらしい古墳である。


写真36 きょう塚古墳 (安茂里平柴)


写真37 西前山古墳 (松代町東条)
長野市埋蔵文化財センター提供

 松代町東条には、石塊のみで積みあげられた直径三四メートルの長野県最大の積石塚古墳、菅間王塚(すがまおうづか)古墳(県指定史跡)がある。六世紀中ごろにつくられたと考えられている竹原笹塚(たけはらささづか)古墳(市指定史跡)には、横穴式石室状の合掌形石室が構築されている。また皆神山(みなかみやま)の北麓(ほくろく)斜面には、藤沢川改修工事をきっかけとして平成九年(一九九七)に新発見され、発掘調査された西前山(にしまえやま)古墳がある。土と石のまざりあった盛土に皆神山の安山岩を厚くおおった直径二一メートルの積石塚古墳で、後世の改変がいちじるしいものの墳丘には円筒埴輪や人物埴輪が立てられ、墳丘中央には横穴式石室がある。この東条一帯の古墳群は多くが積石塚状の円墳であるが、現在は破壊されてしまった古墳も多い。このほか皆神山の周辺には、牧内(まきうち)一号古墳(松代町豊栄(とよさか))や南大平(みなみおおひら)古墳など横穴式石室が開口している古墳や、合掌形石室を埋葬施設にもつ桑根井空塚(くわねいそらづか)古墳(県指定史跡)などがある。


図24 横穴式石室構築のようす (山田美弥子画)