運脚

343 ~ 343

庸や調のように主として農民が負担した種々の物品は、運脚(うんきゃく)とよばれる運び手によって京へ送り届けられた。運脚は庸・調を納入するものがある家々から徴発され、国司に引率されて京に向かったが、往復の食糧などは、庸・調の納入者が負担することとされ、農民にとっては非常に重い負担であった。復路で行き倒れになるものも多かったが、国司が農民から運賃をとってかわりに運んだり、京の市で貢納品を買いととのえたりすることは、律令によって禁じられていた。