高井郡

356 ~ 357

高井郡は、千曲川右岸に位置し、その南部は百々(どど)川・鮎(あゆ)川・八木沢(やぎさわ)川などの河川がつくる扇状地群に立地する。『和名抄』(流布本)にみられる郷は穂科(ほしな)・小内(おうな)・稲向(いなむき)・日野(ひんの)・神戸(かんべ)の五ヵ郷であるが、扇状地地形による地形環境の変化から、比定地の比較的明確な郷は穂科郷(若穂保科付近)のみで、他の四ヵ郷については確定的な比定地がない。

 古窯跡群としては、高丘古窯跡群(中野市)があり、近年中野市清水山窯跡から「佐玖(さく)郡」「高井」とヘラ描きされた八世紀前半の須恵器が出土した。「佐玖郡」は焼成以前にヘラ描きされていたことから、高井郡の窯で焼かれた須恵器が佐久郡に供給された可能性を示し、郡域を越える供給関係が想像される。古墳群では須坂市の八丁鎧塚(はっちょうよろいづか)古墳(積石塚古墳)や本郷大塚古墳(前方後円墳)がある。近年、若穂保科地区の和田東山古墳群は、四世紀後半から約一世紀にわたって三基の前方後円墳が築造されたものであることが判明し、中野市の高遠山古墳は、信濃最古の前方後円墳である可能性が指摘されている。この和田東山古墳群の足もとの若穂地区に川田条里遺跡がある。川田条里遺跡では弥生、古墳、奈良、平安、中世、江戸時代の水田が千曲川の洪水砂によって埋もれており、水田区画の変遷がわかった。大室古墳群には五〇〇基をこす積石塚、合掌形石室が分布する。この数は県内でもっとも多く、またこれらの古墳のなかには渡来系の人びとの墳墓と考えられるものがあり、大室牧の存在とあわせて、この地域が渡来系の人びとと関係のある地域であったとする考えかたも出されている。


写真16 大室古墳群のある大室谷
協同測量社提供

 高井郡家の跡についてくわしいことはわかっていないが、須坂市小河原(おがわら)の左願寺(さがんじ)廃寺跡からは善光寺境内から出土した古瓦と同一形式の瓦が出土している。須坂市塩川の長者屋敷遺跡にも古瓦が分布する。この両遺跡はやや近接した位置にあり、長者屋敷遺跡を高井郡家、左願寺廃寺をその郡寺と推定する説も出されている。

 ところで、水内郡と高井郡については、郡の北部のうち現飯山市域を中心とする一帯に『和名抄』の郷の比定地がないという問題がある。この地域には古墳時代初期と推定される飯山市の勘介山(かんすけやま)古墳(前方後方墳)もあり、古代でも最低一郷を構成しうるだけの郷戸が存在しえたと思われるが、信越国境の問題や、七世紀後半から八世紀はじめの越(こし)地域の蝦夷(えみし)問題ともかかわって今後の課題である。