県下と市域の中世建築物

1004 ~ 1008

長野県下には中世の建築物が約四〇例ほどある。このうち鎌倉時代のものとして、上田市の中禅(ちゅうぜん)寺薬師堂(重文)、小諸市の釈尊(しゃくそん)寺観音堂宮殿(くうでん)(重文)、小県郡青木村の大法(たいほう)寺三重塔(国宝)の三例があり、上田市別所の安楽寺(あんらくじ)八角三重塔(国宝)は鎌倉時代末から室町時代前期である。

 室町時代のものとしては、室町前期の木曽郡大桑村の白山(はくさん)神社本殿とその覆屋(おおいや)のなかに並ぶ伊豆社・熊野社・蔵王(ざおう)社などの小社殿、下伊那郡大鹿村の福徳(ふくとく)寺本堂、室町中期の上田市の信濃国分寺三重塔、飯田市の開善(かいぜん)寺山門、室町後期の東筑摩郡波田(はた)町の田村(たむら)堂、下伊那郡下条村の大山田(おおやまだ)神社本殿、更級郡上山田町の智識(ちしき)寺大御(おおみ)堂などの堂塔社殿(以上重文)がある。

 なお、建築史上の中世の時代区分は、文化庁の『国宝・重要文化財指定建造物』におけるつぎの区分による。

  鎌倉時代   一一八五~一三三三年   室町時代前期 一三三四~一三九二年

  室町時代中期 一三九三~一四六六年   室町時代後期 一四六七~一五七二年

 長野市域には室町時代の建築物が左の四例あり、そのうち二例の社殿は覆屋のなかにある。

 ①浅川西条 諏訪神社本殿(市指定) 覆屋のなか             (室町中期)

 ②入山   葛山落合(かつらやまおちあい)神社本殿(重文) 元は覆屋のなかにあった      (室町中期)

 ③同     同    境内社諏訪神社社殿(県宝)           (室町中期)

 ④安茂里  正覚院境内社諏訪社社殿 覆屋のなか             (室町後期)

 右の四例に加えて、昭和六十一年(一九八六)に善光寺大勧進で発見された善光寺境内諸建築の設計図(以下『善光寺造営図』とよぶ)がある(図23参照)。この図面には享禄四年(一五三一)の墨書銘があり、銘のあるものとしては日本最古のものである。また、今までの「建築指図(さしず)」とよばれる簡単な図面にたいして、本格的な建築設計図でありきわめて貴重である。この図面から室町時代の建築のようすを知ることができる。また、中世の善光寺伽藍(がらん)が描かれた「一遍上人(いっぺんしょうにん)絵伝」、「善光寺如来絵伝」などの絵図が全国に数点残っている。設計図とそれらの絵図から、中世の善光寺本堂の形と善光寺建物群(伽藍)を再現することができる。


図1 宝永4年(1707)の善光寺本堂(東立面図)
南北に長い。後方(右)に入母屋(いりおもや)の破風(はふ)が見える。

 一般に、寺院建築物の堂塔は、その屋根の形から大きく左の四つに分けられる(神社の社殿も同様)。

 ①切妻(きりづま)造り

 ②寄棟(よせむね)造り

 ③入母屋(いりもや)造り

 ④宝形(ほうぎょう)(方形)造り(塔、方形のお堂、経蔵(きょうぞう)など)

 その大屋根の下に母屋(もや)の保護と内部を広くするために付けた庇(ひさし)を、古建築用語で裳階(もこし)という。上田市の安楽寺八角三重塔は、初重に裳階が付き屋根は四重であるが、三重塔である。奈良法隆寺の金堂、五重塔が裳階付きのことはよく知られている(図2②参照)。


図2 古建築の形(屋根形式)

 妻側に入り口があるものを妻入(つまいり)、桁(けた)(平)側に入り口のある場合を平入(ひらいり)という。正面の中央階段を覆うように前方に突きだした屋根部分を向拝(ごはい)といい、側面は縋破風(すがるはふ)となる(図35参照)。ときにはこの向拝に唐破風(からはふ)が付く場合もある。現善光寺本堂は一階正面に三間の向拝が付き、うち中央一間が唐破風となっている(図33参照)。

 神社建築の本殿には、主につぎの四つの造り(形式)がある。

 ①流(ながれ)造り(平入)〈諏訪神社と八幡(はちまん)神社系〉(図35参照)もっとも多い。

 ②春日(かすが)造り(妻入)〈熊野神社・春日神社系〉 (写真1参照)

 ③神明(しんめい)造り(平入)〈皇大神宮(こうたいじんぐう)・伊勢神宮の関係のお宮〉

 ④見世棚(みせだな)造り〈小さな社(やしろ)では階段、回縁(まわりえん)を造らない〉

   右の①~③三つの造りも簡単な小社は見世棚造りになる。


図3 神社建築の造り

 本殿は一間(いっけん)社(正面の柱聞か一つ、祭神が一柱)が多いが、ときには二間社や、一間社がある。二間社には南佐久郡臼田(うすだ)町の新海(しんがい)三社神社中本社、三間社には北佐久郡浅科村の八幡(はちまん)社境内神社高良(こうら)社本殿(重文、室町中期)、松本市の筑摩(つかま)神社本殿(重文・室町中期)がある(以上の三例は流造り)。図29は熊野社(春日造り)の三間社である。

 流造りは諏訪神社や八幡神社で、県下全体や長野市域でもっとも多い(図18、図35参照)。

 春日造りとしては長野市に葛山落合(かつらやまおちあい)神社本殿(重文、室町中期)がある(写真1参照)。

 神明造りは伊勢神宮に関係するお宮で直線的で簡素な造りである。大町市の仁科神明宮(にしなしんめいぐう)(国宝、江戸時代)、長野市城山には県社である水内大社すなわち健御名方富命彦神別(たけみなかたとみのみことひこかみわけ)神社の横に皇大神宮がある。また、神明造りの小社は神明社といい、北安曇郡白馬村の沢渡(さわんど)神明社(本殿)(重文、桃山時代、見世棚造り)がある(図3③)。

 見世棚造りとは神明社や八幡社(流造り)などの簡単な社(やしろ)で、階段や回縁もなく正面が売り棚のようである。境内に合併された小社に多い。木曽郡大桑村の白山(はくさん)神社・蔵王社・伊豆社・熊野社(檜皮葺(ひわだぶき)、柱は方柱)の流造りの各社殿(重文、室町中期)は「見世棚造り」であり、覆屋のなかに一列に四棟が並ぶ(図3④)。