信州の中世の建築の実例

1009 ~ 1011

鎌倉時代の純粋な和様建築としては青木村の大法寺三重塔(国宝)(正慶二年、一三三三)がある。簡素できりりとしたみごとな塔で、都(みやこ)風で和様の典型とされる。ところが初重内部の須弥壇は禅宗様(高欄(こうらん)は和様)である。

 上田市塩田の中禅寺薬師堂(重文、鎌倉初期)は平安時代に流行した方三間(ほうさんけん)の阿弥陀堂形式のお堂である。茅葺(かやぶき)で垂木(たるき)が太く素朴な方形造りで、どっしりとした県内最古の建物である。小諸市の釈尊寺、いわゆる布引(ぬのびき)観音の観音堂宮殿(くうでん)(小規模な厨子)は正嘉(しょうか)二年(一二五八)であり、和様厨子の典型で、蟇股(かえるまた)(図8、図35―29参照)がよく残っている(重文)。

 また、裳階(もこし)付き(屋根は四重)の安楽寺八角三重塔(鎌倉末期~室町初期、国宝)は、国内唯一の八角三重塔であり、純禅宗様、中国式の塔としてよく知られている。詰組(つめぐみ)、扇(おおぎ)形の二重繁(にじゅうしげ)垂木や弓連子(ゆみれんじ)(格子(こうし))が美しい。また粽(ちまき)付きの円柱が礎盤(そばん)の上に建つ。藁座(わらざ)(扉の軸を受けるもの)に納まる桟唐戸(さんからど)(図35―30)など禅宗様のもつ曲線と優雅さなどの特徴を見ることができる。

 県下には室町時代の建物が多い。前述したように室町時代には、日本古来の和様に禅宗様の部分が混合された建物が増えてくる。それは優雅な禅宗様が日本人のもつ繊細な感覚にぴったりとあったからだといえる。

 上田市前山の前山(ぜんさん)寺三重塔(重文、室町後期)は木組が和様であり、禅宗様の木鼻や桟唐戸(ただし、一階のみにある)など二様式の混合である。南佐久郡臼田町の新海三社神社三重塔(重文、室町後期)は平行垂木(和様)と扇(放射)垂木(禅宗様)の二種類の軒で、板戸(和様)と桟唐戸(禅宗様)や木鼻と台輪(だいわ)などが、各重ごとに使い分けられている特異な例である。

 ところで、前述した高遠町の遠照寺釈迦堂では、内部に太い円形断面の大虹梁(だいこうりょう)(梁)(はり)と、隅(すみ)柱から内部四五度に突きだした嘴(くちばし)のような形の木鼻が大仏様である。このように信州の古建築に部分として大仏様(系)が伝わっていることは非常に興味深い。さらに飯田市の白山(はくさん)社奥社本殿(重文、室町後期)には、中備(なかぞなえ)の束(つか)として双斗(ふたつと)(板蟇股の束)が使われているが、この形も大仏様(系)である(図6参照)。


図6「双斗(ふたつと)」白山社(はくさんしゃ)奥社本殿 (飯田市)
「双斗」は珍しい。大仏様式系

 鎌倉時代には、台輪と頭貫(かしらぬき)(図35―14)の使用と太くて長い梁(虹梁)により、大きな内部空間が可能となった。この貫の多用、大虹梁の使用、小屋組の発展など技術面や構造面の発達により、細い柱で背が高くて屋根面が大きな建物となった。しかし、室町後期以降は、部材の寸法や仕上げ、とくに装飾や彫刻、さらに建物の配置などに関心が移り、技術面での発展はなくなってしまった。