浅川西条の諏訪神社本殿

1026 ~ 1030

浅川西条の諏訪神社は、古くから西条のお宮(諏訪社)とよばれ、産土(うぶすな)神として崇拝をうけてきた。

 現在は平間といわれる地籍にあるが、この諏訪神社の場所は旧西条村の北の丘の中腹(その北方には押田城跡がある)にあたり、すぐ南に古道(現在も使っている)がありその南を道下という。ここを古くは宮の台といったようで、延享(えんきょう)元年(一七四四)の古図には「宮の台」となっている。

 この神社の歴史はいっさい不明で、諏訪社特有の御柱(おんばしら)や薙鎌(なぎかま)の行事もない。明治六年(一八七三)に村社の称号を許されている(『浅川郷土史』)。明治十三年の村誌(『長野県町村誌』)にも「諏訪社、創建月日不詳」とある。安永六年(一七七七)の『西条村明細帳』に「諏訪権現、八幡、(中略)神明、九社」とある。その諏訪権現が諏訪神社であり、西条村の東組の鎮守である。


図17 浅川諏訪神社境内図
本殿は北奥の高い位置にある。

 市域の旧水内郡には諏訪大社の分社である健御名方富命彦神別(たけみなかたとみのみことひこかみわけ)神社(水内大社、現在城山にある元県社)があるから、若槻・浅川の地籍に古くから諏訪神社が鎮座するのはしごく当然である。浅川諏訪神社の本殿は境内の最高地籍、山を削った約一〇平方メートルの平地に覆屋(おおいや)がつくられそのなかにある。なお、境内の欅(けやき)の巨木の根元から陽石(初期の道祖神石)が出土した。境内にある熊野社・宇賀(うが)社などは、明治四十一年に西条地域の社を合祀(ごうし)したものである。

 建築様式上の特質はつぎのようである。

 まず、覆屋は、切妻造りトタン葺、白壁、平入で、覆屋の丑梁(うしばり)には「御本社御上屋安政二年(一八五五)八月再建、棟梁小林(以下略)」とある。屋根は最近に葺き替えた。


写真5 浅川諏訪神社本殿の正面と東側面
向拝上部の二軒と頭貫(かしらぬき)に蟇股(かえるまた)が見える。高欄(こうらん)の擬宝珠(ぎぼし)がよく残っている。


図18 浅川諏訪神社本殿平面図
一間社流造り、三方に縁が付く。

 本殿(市指定文化財)は、その建築様式から一四五〇年以降の室町時代中期のものである。一間社(いっけんしゃ)流造りで正面一・一メートル、奥行二・〇メートル、高さ三・三メートルあり、地元の節の多い松材を使っている。風化退色により、現状は素木(しらき)造りであるが、軒裏や組物、肘木(図35―11)にわずかに彩色の跡が残る。以下の説明には図35「建築専門用語解説図」を用い、建築用語に同図の番号を括弧書きする(あわせて「図35の用語解説」を参照)。

 板葺(地元の松材、薄板とした葺き方)(48)、箱棟(49)で、両端に大きな鰭(ひれ)(50)付き鬼板(2)がある(鬼面(51)はない)。二重繁垂木(しげだるき)(36)の二軒、垂木の先端を三方からコキをほどこす(細く削る)。

 海老虹梁(えびこうりょう)(40)の錫杖(しゃくじょう)(52)彫りは、半円形の頭の単純な形である。

 破風(はふ)板(39)に円弧のシャクリ(陰刻の筋状の彫り)があり、先端に鯖尻(さばじり)(37)がある。海老虹梁の前上端にある刳形(くりがた)(凹凸)(43)にはその側面に渦巻文様の絵様があり、この諏訪神社本殿独特のものである。妻飾(つまかざ)りの大瓶束(たいへいづか)(6)には花肘木(はなひじき)が付き(47)、その渦巻文様(5)は室町時代の特徴をもつ。大瓶束の結綿(ゆいわた)(7)は素朴でやや浅い仕口(しぐち)(この大瓶束の内側は単なる角材のまま)である。向拝(ごはい)柱(方柱)(28)は大面取(おおめんとり)(27)で、その面比率は九分の一である。向拝柱の頭貫(かしらぬき)(14)が柱から外に出て、皿板付斗(さらいたつきます)(41)となり、その上に連三斗(つれみつと)(33)がのる。その連三斗は斗と肘木(11)が一木である。さらにその上の桁(けた)(35)も実肘木(さねひじき)(44)とともに一木からつくりだしている。拝懸魚(おがみげぎょ)(4)、降(くだり)縣魚(8)は大振りの蕪(かぶら)懸魚である。向拝の頭貫上の本蟇股(29)(実肘木と蟇股は一木彫成)は、中央が少し下がる珍しい形である。戸隠村の南方神社本殿(県宝)に同じ形のものがある。内側に彫刻は入らない。その裏側に墨書による渦巻文様(5)が残る。


図19 一間社流造り(正面)
左 断面、右 立面図


写真6 側面の妻飾り
大きな蕪懸魚(かぶらげぎょ)と大瓶束(たいへいづか)の花肘木(はなひじき)がみごとである。


図20 向拝の軒裏(東側)

 母屋(もや)柱(20)は丸柱(円柱)で、背面の母屋柱は頂部に近い位置が細くなる。材料の節約からか、粽(ちまき)(禅宗様)とは異なる(床下は八角形)。桁隠(けたかくし)(38)は橘(たちばな)の実(み)で珍しく、非常に美しい意匠である。観音開きの桟唐戸(さんからど)(30)、高欄(こうらん)(17)と切目縁(きりめえん)(18)が三方にめぐる。側面奥の脇障子(わきしょうじ)(16)は破損しているが、正面階段上(24)の親柱(おやはしら)(25)の擬宝珠(ぎぼし)は古式で美しい。母屋(もや)柱の挿(さし)肘木は皿板付斗(41これは大仏様式、信州の室町時代建築にみられる)で、背面は繁垂木(しげだるき)のはずだが、中央には力(ちから)垂木(中央のみに厚い板を配置し、その左右は繁垂木を省略)を用いている。これは覆屋いっぱいに本殿がつくられ、背面からみられないことを考えてのことだろうか。

 破損箇所もあるが、全体に当初の姿をよく残している。とくに擬宝珠は古式であり、軒裏の拳鼻(こぶしばな)や、ことに海老虹梁の先端の刳形は独特の形でこの諏訪神社の特徴である。さらに拳鼻、渦巻絵様など、室町時代の特徴をよく伝えている。実肘木には縁取(ふちど)り絵様を施し、墨書を入れ、室町時代の様式が残っている。

 全体に材料を節約する工夫がされている。背面の母屋柱の上部が細いこと、力垂木を使用していること、などである。