正覚院境内社の諏訪社

1031 ~ 1032

安茂里窪寺(くぼでら)の正覚院(しょうがくいん)は、天台宗月林(がつりん)寺の跡に後町の正覚院から移って再興されたという。「安茂里の観音さん」として知られている。平安時代の創建と伝えられる古刹(こさつ)であり、現在は真言宗である。月光殿には、禅宗様の古い厨子(ずし)があり、その折上(おりあげ)鏡天井のもとに木造聖観音菩薩立像が立ち、厨子の左右に不動明王(みょうおう)像、愛染(あいぜん)明王像がある。コンクリート造りの収蔵庫には県下でも最古の木造仏という伝観音菩薩立像(県宝、平安時代、現在の姿は十一面観音)、木造天部の残闕(ざんけつ)(体部の一部)が伝えられている。


図21 正覚院配置図

 境内社の諏訪社社殿は覆屋のなかにある。もとは区の社で、戦後にここに移したという。一間社流造りの簡素な造りであり、広い一枚板を縦に葺いた板茸で、疎(まばら)一重垂木を使っている。かなりいたみが激しく、正面の階はなくなり、浜床(はまゆか)に変更されているが、側面に古式を残している。向拝柱は方柱で糸面取(いとめんとり)、向拝の頭貫(かしらぬき)には植物の蔓(つる)と葉の絵様が刻まれており、この頭貫には眉切(まゆきり)がほどこされている。頭貫が柱の外で鼻の長い象鼻となる。象の鼻(縁取り墨書)先は外巻きの渦巻をなし、向拝の頭貫上の中備(なかぞえ)は単純な束(つか)で、向拝柱が直接桁(けた)をうける(ただし向拝柱は変更されているかもしれない)。擬宝珠(ぎぼし)付の親柱(おやばしら)があるが高欄(こうらん)は欠落している。その擬宝珠は古式のもので、とくに右側のものが三角形で、その姿は浅川西条諏訪神社本殿のものに似ている。正面は両開き板戸、側面・背面は横板壁である。側面は舟肘木(ふなひじき)で、妻飾りの大瓶束(たいへいづか)は細い。その大瓶束の結綿(ゆいわた)は深くて古式である(写真8)。斗栱(ときょう)の肘木は禅宗様の曲線となっている。棟木(むなげ)は実肘木(さねひじき)で支えられ、その実肘木の先端は外からの渦巻文様である。巻きが深く象鼻の渦巻と同じである。

 小社だが部分に古式を伝えている。室町末から桃山時代(一六世紀末ごろ)のものと思われ貴重な存在である。


写真7 正覚院境内諏訪社の正面
板葺(いたぶき)、一軒(いっとのき)、疎垂木(まばらだるき)、手摺(てすり)(高欄(こうらん))が欠落


写真8 諏訪社の切妻の妻部分と屋根裏
大瓶束(たいへいづか)の上に大斗と斗栱実肘木(さねひじき)の先端に渦巻絵様(うずまきえよう)


図22 諏訪社の向拝部分
手摺の親柱が残っている。象鼻に渦巻がある。