絹本著色両界曼荼羅図(けんぽんちゃくしょくりょうかいまんだらず)

1060 ~ 1061

重文 一三世紀初期 若穂保科 清水寺蔵 絹本著色 軸装二幅 縦一〇三・九センチメートル、幅八六・一センチメートル

 現在清水寺に伝存する二つの曼荼羅(まんだら)は、正式には「大悲胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅」「金剛界九会(こうごうかいくえ)曼荼羅」とよばれる。わが国における曼荼羅図の成立は、九世紀初頭に学僧として入唐(にっとう)した空海が、師の恵果阿闍梨(あじゃり)から授けられ、それがわが国へ招来されてからである。この二つの曼荼羅図は、真言密教の儀式や修法(しゅほう)においてはもっとも重要な基本とされる図像である。胎蔵界曼荼羅は「大日経」、金剛界は「金剛頂経」の経典を原拠として、胎蔵界は理論的な面(教相)、金剛界は実践的な面(事相)を示し、原則として、寺院の堂内の向かって右に胎蔵界、左に金剛界を安置して祀(まつ)られるようになった。そしてそれぞれの曼荼羅図の構成は、胎蔵界は中央に中台八葉院、その周囲に十二大院をもうけ経典の教えにもとづき、中央から周辺に向かって四百あまりの諸尊が描かれている。また金剛界は、九会を三列三段の長方形の升形(ますがた)で仕切り、曼荼羅の根幹である成身会(じょうじんえ)を中心に、その下に三昧耶会(さんまやえ)、そして右まわりに成身会を取りかこむように微細会(みさいえ)、供養会などの諸会がもうけられている。

 製作年代は、諸尊の的確で緻密な描写、落ちついた彩色から、一三世紀の鎌倉時代前期にさかのぼるものと推定される。現状は、両幅とも中央の絹本の継ぎ部に沿い、大きな剥落が認められることは惜しまれる。また本寺への招来は不詳であるが、県下には鎌倉時代前半にまでさかのぼる両界曼荼羅図は伝存せず、貴重な遺例といえよう。


写真16 絹本著色両界曼荼羅図
清水寺提供