絹本著色阿弥陀聖衆来迎図(あみだしょうじゅらいごうず)

1061 ~ 1063

県宝 一三世紀 元善町 善光寺本坊大本願蔵 絹本皆金色、切金、彩色 軸装 縦一七二・五センチメートル、幅一〇六・五センチメートル

 阿弥陀来迎図(あみだらいごうず)は、坐像(ざぞう)・立像(りゅうぞう)にかかわらず正面向きと斜め向きの二種類の構図に分類されるが、多くの場合は斜め構図をとる。そのなかで本図は正面向きに描かれ、別に「迎接(ごうしょう)曼荼羅」ともいわれる。この正面向きの構図は『往生要集』をあらわした恵心僧都(えしんそうず)源信(九四二~一〇一七)の教えにもとづく、観想念仏の本尊を基本として描かれ、のちの来迎図のもとになったといわれている。

 図柄は既述したように、画面の上部には、正面向きの来迎印をむすぶ阿弥陀如来が立つ。そしてそれを取りかこむように、持幡(じはん)菩薩を加えた二十七尊の諸聖衆(しょうじゅ)が、それぞれの楽器を打ち鳴らし、白雲に乗って死者を迎えにくる図であらわされている。如来や聖衆は、いずれも皆金色であらわされ、緑色の踏み割蓮華(れんげ)に立っている。また白雲は白線でかたどり、灰色をおびた表現となっている。紺色の頭光に、二条の切金(きりがね)であらわされた放射光を負う阿弥陀如来は、かなり剥落がすすみ下書の墨線や、肉身部の輪郭の朱線があらわになっている。

 本図でとくに注目されるのは、来迎図中、阿弥陀如来および諸聖衆を取りかこむように情景描写がなされている点である。画面の上部に描かれる金色に映える白雲の尾は、なだらかな山の尾根にかかっている。そして右上の山際には金色の満月が光りかがやいている。地は夜景をあらわすかのような深い藍(あい)色地で、画面左下には滝が描かれ、金銀泥にいろどられた土坡(どは)や藍色の池水がひろがる。そこには紅葉が散り、菊や竜胆(りんどう)、蓮の花が咲きほこり鴛鴦(おしどり)が泳いでいる。かなり剥落はすすんではいるが、まさにこの情景描写は、山越えの阿弥陀図を意識しての表現といえよう。法量で示すように、大画面のこの来迎図の製作年代は、鎌倉時代後期にさかのぼる。県下ではもっとも古い時代にさかのぼる阿弥陀来迎図で、浄土教の絵画の伝存が少ない県下ではたいへん貴重といえよう。

 ほかに注目される来迎図としては、善光寺本坊大勧進のものがあげられる。本図は情景描写がなく、南北朝時代以降の定形化された斜め構図の来迎図で、製作年代は室町時代初期と推定される。肉身部は皆金色で、着衣には精緻(せいち)な切金(きりがね)がほどこされている。このような斜め構図の阿弥陀来迎図は、『観無量寿経』の九品(くほん)往生観にもとづいて描かれるもので、大本願本の来迎図とは対照的な図柄といえよう。